陸軍第四師団 歩兵第六十一連隊
所在 和歌山市 砂山南 3 ほか
収録遺構 (4) 門柱 2, 歩哨 1, その他 1
実地調査 2016年 7月
|
|
歩兵第六十一連隊は京都におかれていた第十六師団に隷属する部隊として、1905年(明治38)に編成されて大阪府内に駐屯しましたが、のちの改編で第四師団の所属となり1909年(明治42)に和歌山へ移駐しました。
昭和に入ると満州に駐屯して日中戦争に参戦し太平洋戦争ではフィリピン方面の作戦に参加後ビルマ方面に転戦し、陣地の構築途中で終戦となりました。
現在、兵営の跡地は県立和歌山商業高校や市立西和中学校などに変遷し面影がありませんが、わずかに正門や歩哨などが保存されています。 |
陸軍大阪師管 和歌山連隊区司令部
所在 和歌山市今福 1
収録遺構 (5) 門柱 2, 軍用地境界標 3
実地調査 2016年 7月 |
|
連隊区は、区域内の徴兵や召集に関連する兵事事務を行うための部署で、歩兵連隊の所在地に司令部が設置されていました。
その中で、和歌山連隊区は和歌山県内における兵事事務を担当し、大阪におかれた大阪師管に隷属しました。
現在、連隊区司令部の跡地は近畿財務局和歌山財務事務所となっていますが敷地の外周部分を中心に当時の遺構が残っています。 |
陸軍第四師団 和歌山射的場
所在 和歌山市 西高松 1 ほか
収録遺構 (2) 軍用地境界標 2
実地調査 2016年 7月 |
|
和歌山射的場は、第四師団の射撃演習場として隷下部隊の歩兵第六十一連隊が和歌山に転営が決まったことで1907年(明治40)に用地の買収が始まり、太平洋戦争の終戦まで敷地が存続していました。
現在、敷地の跡地は公園や住宅地などに変遷し面影がありませんが、敷地の北側付近に軍用地境界標が残存しています。 |
陸軍大阪憲兵隊 和歌山憲兵分隊
所在 和歌山市 小松原通 1 ほか
収録遺構 (1) 軍用地境界塀 1
実地調査 2016年 7月 |
|
和歌山憲兵分隊は、大阪市におかれていた大阪憲兵隊の分隊として、この前身の第四憲兵隊の分隊からの改称によって1907年(明治40)に設置されました。
その後、1945年(昭和20)に組織の改正によって和歌山地区憲兵隊に改称し中部憲兵隊司令部に隷属しました。
現在、敷地跡の大半が住宅地に変遷しており、東側も国道42号線の拡張で消失して面影が全くありませんが、当時の塀とおぼしき遺構が一部残っています。 |
陸軍第四師団 和歌山演習場
所在 和歌山市 今福 4 ほか
収録遺構 (3) 軍用地境界標 3
実地調査 2016年 7月 |
|
和歌山演習場は第四師団に所属する部隊の兵科演習場として、歩兵第六十一連隊が和歌山市に移駐したことにより設置されました。
現在、敷地跡は市立今福小学校や住宅地などに変遷しており面影が全くありませんが、敷地の北端付近に軍用地境界標が残っています。 |
和歌山陸軍埋葬地
所在 和歌山市西高松 1
収録遺構 (7) 軍用地境界標 1, その他 6
実地調査 2016年 7月 |
|
和歌山陸軍埋葬地は、それまで大阪府に兵営が設置されていた歩兵第六十一連隊が和歌山市へ転営したことによって開設された陸軍墓地で、1909年(明治42)に設置されました。
現在、敷地の跡地は和歌山県平和祈念資料館に変遷しており、忠霊塔や合葬碑・灯篭のほかに軍用地境界標が移設保存されています。 |
陸軍由良要塞 加太砲台
所在 和歌山市加太
収録遺構 (23) 砲座 2, 観測所 1, 地下施設 3, 建物 3, 門柱 1, 軍用地境界標 9, その他 4
実地調査 2008年 1月 |
少年自然の家敷地内にあり 営業時間内ならアポなしで 見学が可能ですよ★
また、残存状態もいいので 是非、探訪してください♪ | |
|
陸軍由良要塞は、日本第二の経済都市であった大阪の防衛を目的に、紀淡海峡から大阪湾への敵艦船の侵入を防ぐために構築された、強力な火砲群とこれに関連する施設群の集合体です。これらは加太地区・沖ノ島地区(友ヶ島)・由良地区(兵庫県洲本市)にそれぞれ配備され、連携しながら敵艦船を撃滅させる強力な火網を形成していました。
加太砲台は、由良要塞の 1つとして加太地区に配備された砲台で、1904年(明治37)に完成し、27cmカノン砲が 4門据え付けられていました。
現在、砲台の跡地に和歌山市立少年自然の家が建てられており、砲台の一部が滅失してますが比較的良好な状態で残存しています。ちなみに市立少年自然の家の営業時間内であれば見学は自由に出来ますが、そのほかの時間帯は内部に入れないので、事前に営業時間を確認しておくことをお奨めしますっ★(定休日もあります) |
陸軍由良要塞 田倉崎砲台
所在 和歌山市加太
収録遺構 (35) 砲座 3, 観測所 1, 地下施設 5, 建物 1, 軍用地境界標 21, その他 4
実地調査 2008年 1月 |
| 加太砲台と同じ、市立 少年自然の家の敷地に あるので、セットでの 探訪がお奨めですよ♪
ただし、詳細な見学は 時間が相当必要です▲ |
|
田倉崎砲台は、加太地区に配備されていた由良要塞の 1つで、1904年(明治37)に完成し、28cm榴弾砲が 6門据え付けられていました。
現在、砲台の跡地は和歌山市立少年自然の家のアスレチック場となっており、一部が滅失していますが、遺構のほとんどが良好な状態で残存しています。
なお、市立少年自然の家の営業時間内であれば見学は自由に出来ますが、そのほかの時間帯は中に入れないので、事前に営業時間を確認しておきましょうっ★(定休日もあります)
ちなみに、加太・深山の 砲台群の網羅は程度にも よりますが 1日では絶対 まわれませんよっ▲
深山の国民休暇村に宿泊 することがお薦めです♪ (回し者じゃないです★) | |
|
陸軍由良要塞 城ヶ崎電灯所
所在 和歌山市加太
収録遺構 (4) 軍用地境界標 3, その他 1
実地調査 2008年 1月
|
|
加太砲台群と深山砲台群の中間に位置している城ヶ崎には、電灯機関舎(発電施設)をかかえる電灯所がおかれていました。
電灯所とは、探照灯(サーチライト)を運用する施設のことで、夜間の砲撃に必要不可欠となるものでした。 (ちなみに電灯機関舎を有さない探照灯の運用施設は「照明所」といいます★)
戦後、施設跡地に国民休暇村の施設が建ちつつ探照灯の格納庫などが残っていたそうですが、現在は休暇村の施設が取り壊され見晴らし台となっており、面影がありません。見晴らし台の東側山頂に遺構がわずかに残っています。 |
陸軍由良要塞 深山第二砲台
所在 和歌山市深山
収録遺構 (3) 地下施設 1, その他 2
実地調査 2020年 3月 |
|
深山第二砲台は由良要塞の 1つで、第一砲台とほぼ同時に建設が開始され、1893年(明治26)に完成し、第一砲台より早い竣工となりました。ここには、28cm榴弾砲 6門と、15cm臼砲 4門が据え付けられていました。
戦後、砲台はアメリカ軍に爆破処理されており現在は跡地に国民休暇村が建てられています。これにより、遺構の大部分を消失していますが国民休暇村の向かいに地下施設が 1つ残るほか石垣で区画された部分を見ることが出来ます。なお、地下施設は幅 2m・高さ 1.8m・奥行き 7mで、最深部に奥行き 20cmの通気口が地表に向けて伸びています。
|
陸軍由良要塞 男良谷砲台 (陸軍由良要塞 深山第三砲台)
所在 和歌山市深山
収録遺構 (9) 砲座 2, 地下施設 2, 建物基礎 2, トンネル 2, その他 1
実地調査 2008年 1月 |
| 遺構は草木に埋もれて いるものが多いものの 残存状態は良いです★
探訪は、草木が枯れる 冬場がお奨めですよ★ |
|
男良谷砲台は、深山地区に配備されていた由良要塞の 1つで、1903年(明治36)に完成し、速射カノン砲が 4門据え付けられていました。
速射カノン砲は、カノン砲や榴弾砲より水平の弾道を描くため、主に敵艦の側面部を破壊する要撃砲台として標高の低い位置に据え付けられ「低砲台」として区別されることがあります。また、「速射」と冠されていても現代のような速さで撃てるものではなく、 1分間に 2・3発が限度というものでしたが、当時としては速射に値するものでした。
現在、砲台の跡地は国民休暇村の遊歩道(?)となっていますが、ほぼ原形を留め残存しており放置された状態となっています。 |
陸軍由良要塞 大川山堡塁
所在 和歌山市大川
収録遺構 (12) 砲座 1, 地下施設 1, 建物基礎 3, 軍用地境界標 5, その他 2
実地調査 2008年 1月 |
| | 遺構は草木に埋もれて いるものが多いので、 夏場の探索は見落とす 可能性がありますよ▲
探訪は、草木が枯れる 冬場がお奨めですっ★ |
|
大川山堡塁は、加太地区に配備されていた由良要塞の 1つで、1897年(明治30)に完成し、9cm カノン砲 2門を戦時に限って据え付け、普段は深山の砲具庫に収納していました。
「堡塁」は、砲身を海上に向けて敵艦船などを撃つ「砲台」とは逆で、砲身を陸地に向けて、上陸兵を撃ったり、砲台の死角域を補うための背射的な役割を持ちます。 (ちなみに、両方の役目を持つ場合は「堡塁砲台」といいます)
現在は、大川山の山中に放置されていますが、土砂の崩落が激しく、ほとんどが土に埋もれている状態です。
大川山堡塁の入口は、 目印となるものがなく アプローチが困難かも しれませんよっ (>_<)
藪漕ぎも必至ですっ▲ | | |
|
陸軍由良要塞 西の庄堡塁
所在 和歌山市西庄
収録遺構 (9) 軍用地境界標 9
実地調査 2020年 3月
|
|
西の庄堡塁は、加太地区に配備されていた由良要塞の 1つで、西庄より加太にいたる山間道を制圧することを目的に1904年(明治37)に竣工し12cmカノン砲 6門を戦時に限り据え付け普段は深山の砲具庫に収納していました。
現在、跡地は県立和歌山北高等学校の西校舎に変遷して遺構は残ってないようですが西庄より深山にいたる林道の周辺で防御営造物境界標がわずかに見ることが出来ます。 |
深山陸軍埋葬地
所在 和歌山市深山
収録遺構 (1) 墓標様 1
実地調査 2008年 3月 |
|
深山陸軍埋葬地は深山地区に深山重砲兵連隊がおかれたことで開設された陸軍墓地で、連隊の開設と同時期に設置されたものと思われます。
現在は、和歌山市森林公園の一角になっており引き続き墓標がおかれていますが、管理されていないため藪の中に埋もれてしまいそうです。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島第一砲台
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (31) 砲座 3, 観測所 2, 地下施設 6, トンネル 4, 建物 2, 建物基礎 4, その他 10
実地調査 2020年 3月
|
|
友ヶ島第一砲台は、紀伊水道の中央に位置する友ヶ島地区に配備されていた由良要塞の 1つで1890年(明治23)に完成しました。
ここには、27cmカノン砲が 4門据え付けられて終戦まで防備につきましたが、終戦後は一部の施設が爆破処理されました。
現在は、跡地の一部が友ヶ島灯台となっており砲座や掩蔽部・付属施設などの遺構群が数多く残されています。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島第二砲台
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (22) 砲座 4, 地下施設 8, トンネル 4, その他 6
実地調査 2008年 3月
|
|
友ヶ島第二砲台は、紀伊水道の中央に位置する友ヶ島地区に配備されていた由良要塞の 1つで1898年(明治31)に完成し、27cmカノン砲が 4門据え付けられていました。大正時代に入ると、軍縮による要塞整理で12cm速射カノン砲 2門に変更されたものの、終戦時まで配備が存続していました。終戦後は、アメリカ軍によって爆破処理されています。
現在、第二砲台がおかれていた沖ノ島の全域が国立公園になっており多くの遺構を見ることが可能ですが爆破処理により倒壊している部分も多いため細心の注意が必要です。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島第三砲台
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (23) 砲座 4, 観測所 1, 地下施設 4, トンネル 7, 建物 2, 建物基礎 1, 門柱 1, その他 3
実地調査 2008年 3月
|
第三砲台は、友ヶ島に 残存する砲台の中では 一番良い状態を保ち、 多くの遺構群を簡単に 見学可能ですっ★
ただし、詳細な見学は 時間が相当必要です★ | |
|
友ヶ島第三砲台は、紀伊水道の中央に位置する友ヶ島地区に配備されていた由良要塞の 1つで1892年(明治25)に完成し、最重量級である28cm榴弾砲が 8門据え付けられていました。
榴弾砲の弾道はカノン砲よりも曲線を描くためこれを用いる砲台は、主に敵艦船の上部を破壊する砲戦砲台として、比較的高度のある場所に据え付けられるため「高砲台」として区別することがあります。
この砲台も、由良要塞の主力砲戦砲台として、 360°の全周射界を持っていましたが、周辺に配備された砲台群との連携をとる必要性から、主として南西方向の砲撃を意図していました。
大正に入ると、一部の由良要塞の砲台群は旧式装備となったことで廃止されましたが友ヶ島の砲台群は、航空機が主力となった太平洋戦争の終戦まで存続し、配備についていました。
現在、沖ノ島の全域が国立公園として整備され簡単に見学することが可能です。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島弾薬支庫
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (5) 地下施設 5
実地調査 2008年 3月
|
|
友ヶ島弾薬支庫は、友ヶ島第三砲台の砲弾類を備蓄する目的で隣接して設置されました。
ここには、防水・防湿対策として外庫と内庫が区画された 4連構造の弾薬庫と単式の弾薬庫がおかれていました。
現在、沖ノ島の全域が国立公園として整備され入口部分に損傷があるものの、簡単に見学することが可能です。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島第四砲台
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (22) 砲座 3, 観測所 1, 地下施設 6, トンネル 5, 建物 1, 建物基礎 1, 門柱 1, その他 4
実地調査 2016年 7月
|
| 第四砲台は第三砲台と 同じくらいの遺構群が 残っているのですが、 整備が行き届いてない 箇所があるため注意が 必要ですっ! |
|
友ヶ島第四砲台は、紀伊水道の中央に位置する友ヶ島地区に配備されていた由良要塞の1つで1892年(明治25)に完成し、最重量級である28cm榴弾砲が 6門据え付けられていました。
この砲台の首線は南西40度で、対岸におかれた加太・深山地区の砲台群と連携し、主に友ヶ島南方と中ノ瀬戸・加太方面へと砲撃を意図していましたが友ヶ島第三砲台と同様に由良要塞の主力砲戦砲台として 360度の全周射界を持っていました。
大正時代に入ると装備が旧式化したことにより要塞整理計画の一環で廃止され、その後は活用されることなく現在にいたっていますが沖ノ島全域が国立公園として整備されており、砲座や観測所などを簡単に見学することが可能です。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島第五砲台
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (13) 門柱 1, 砲座 3, 地下施設 3, 建物 1, その他 5
実地調査 2020年 3月
|
|
友ヶ島第五砲台は友ヶ島地区に配備された由良要塞の 1つで1904年(明治37)に竣工しました。
ここには12cm速射カノン砲が 6門据え付けられ終戦まで防備につきましたが、終戦後は一部の施設が爆破処理されたようです。
現在、沖ノ島の全域が国立公園として整備され簡単に見学することが可能です。 |
陸軍由良要塞 虎島堡塁
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (15) 門柱 1, 砲座 2, 地下施設 4, 建物 2, 建物基礎 3, その他 3
実地調査 2016年 7月
|
|
虎島堡塁は由良要塞の 1つで1901年(明治34)に完成し 9cm速射カノン砲が 4門据え付けられて防備にあたりました。
資料によると、終戦後に爆破されて原形がないとのことですが、砲座や弾薬庫・掩蔽部・兵舎などが残っており、現在も見学することが可能ですが、虎島は港がある沖ノ島と離れており、干潮時しか上陸することが出来ないので注意が必要です。
| 虎島は、干潮時以外の 上陸が難しいですよ▲
また、友ヶ島港からも 距離がありますので、 帰りの船の時刻や上陸 タイミングを前もって 考えて臨みましょう! |
堡塁周辺は鬱蒼とした 山林なので夏の探訪は アブや蚊・ヘビに十分 注意してくださいっ!
当然ながら、周辺には 水場がありませんので 事前に調達することを 強くお奨めしますっ▲ | |
|
陸軍由良要塞 友ヶ島電灯所
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (7) 建物 1, 建物基礎 1, 地下施設 1, その他 4
実地調査 2008年 3月
|
|
友ヶ島電灯所は由良要塞の 1つで電灯機関舎を有する探照灯(サーチライト)の運用施設として建設されました。
ここには 120cm射光器や雑具庫・付属庫などが設置され、発電所から照明座までの間に架柱を植立して電線を通し送電していました。
現在、沖ノ島の全域が国立公園として整備され簡単に見学することが可能ですが、保存対策は特に講じられていないので注意が必要です。 |
陸軍由良要塞 友ヶ島弾薬本庫
所在 和歌山市沖ノ島
収録遺構 (3) 門柱 1, 建物 1, 建物基礎 1
実地調査 2008年 3月
|
|
友ヶ島弾薬本庫は由良要塞の付属施設の 1つで友ヶ島の砲台群に供給する砲弾や火薬類を一元管理する目的で設置されました。
現在、沖ノ島の全域が国立公園として整備され簡単に見学することが可能ですが、残念ながら建物などは損傷が激しいため、ほとんどが基礎部分を残すのみとなっています。 |