陸軍第三師団 歩兵第十八連隊 (陸軍第十五師団 歩兵第十八連隊, 陸軍第二十九師団 歩兵第十八連隊)
所在 豊橋市今橋町
収録遺構 (10) 建物 1, 門柱 3, 歩哨 1, 地下施設 1, その他 4
実地調査 2013年 9月
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歩兵第十八連隊は、陸軍師団編成の前身である名古屋鎮台に隷属した部隊で1886年(明治19)に豊橋へ移駐し兵営が設置されました。その後、師団創設にともない第三師団の基幹部隊となり日清戦争・日露戦争に出征して参戦しました。
日露戦争後は、軍備拡張にともない創設された第十五師団に隷属先が変更されたものの、大正末期の軍縮で師団そのものが廃止となり、再び第三師団の隷属となりました。
昭和に入ると日中関係が泥沼化したことにより1928年(昭和 3)に発生した済南事件を皮切りに中国戦線へ投入され、この時に隷属先が満州で新たに編制された第二十九師団になりましたが1944年(昭和19)より南方作戦への参戦が決まり満州からサイパンに移動する際、アメリカ軍の魚雷攻撃によって輸送船が沈没し、連隊主力を失いました。また、サイパンに上陸出来た残存部隊もグアム島の守備につきましたが、形勢が不利でアメリカ軍の猛攻に押され、夜間攻撃を行って玉砕し、壮絶な最期を遂げました。
現在、歩兵第十八連隊の跡地のほとんどが豊橋公園となっていますが、いくつか当時の遺構が残っており、見学することが可能です。
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陸軍第十五師団 師団司令部 (豊橋陸軍教導学校, 豊橋陸軍予備士官学校)
所在 豊橋市町畑町 ほか
収録遺構 (13) 建物 5, 門柱 3, 軍用地境界塀 2, 軍用地境界標 1, その他 2
実地調査 2018年 12月
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陸軍第十五師団は、日露戦争の開戦によって、新設された 4師団の 1つで、1905年(明治38)に豊橋で編制されました。師団新設の背景には、日露戦争での苦戦があり、日本は既成の師団を全て戦地へ投入し、日本国内に駐留する師団がなくなってしまったためです。
日露戦争後、第十五師団は朝鮮半島内の警備にあたるため動員されますが、1925年(大正14)の軍縮で師団そのものが廃止となりました。
昭和に入ると、下士官を養成した陸軍教導団の後釜である教導学校が開設され、第十五師団の跡地を利用して歩兵科の下士官候補生の育成が行われましたが、その後の組織改正や予算都合などにより、最終的に予備士官学校として使用されました。
一方、軍縮で廃止された第十五師団は、1938年(昭和13)に日中戦争遂行のため編制地を京都に変更して再編制されインパール作戦などに参戦して甚大な被害を出し、転進先のタイで終戦を迎えました。
現在、跡地のほとんどは愛知大学の敷地として活用されていますが、当時の建物が残っており見学することが可能です。 |
陸軍第十五師団 歩兵第六十連隊
所在 豊橋市北丘町 ほか
収録遺構 (7) 建物 3, 門柱 2, その他 2
実地調査 2013年 9月
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歩兵第六十連隊は、第十五師団に隷属する基幹部隊で、1905年(明治38)に軍旗を拝受し、連隊本部が師団司令部に隣接して設置されました。
その後、1925年(大正14)の軍縮で第十五師団の廃止にともなって一旦解隊されますが、1938年(昭和13)に日中戦争遂行のために第十五師団が復活すると、編制地を名古屋に遷して再編され中国戦線に出征して奮闘し、転進先のタイにて終戦を迎えました。
現在、跡地のほとんどは愛知大学の敷地として活用されていますが、当時の遺構が残っており見学することが可能です。
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陸軍第十五師団 野砲兵第二十一連隊
所在 豊橋市富本町 ほか
収録遺構 (1) その他 1
実地調査 2013年 9月
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野砲兵第二十一連隊は、第十五師団に隷属する部隊で、三島におかれた野戦重砲兵第二連隊と野戦重砲兵第三連隊とで野戦重砲兵第一旅団を形成しました。
その後、1925年(大正14)の軍縮で第十五師団の廃止にともなって一旦解隊されますが、1938年(昭和13)に日中戦争遂行のために第十五師団が復活すると再編され、中国戦線に出征したのち転進先のタイにて終戦を迎えました。
現在、敷地跡は時習館高校や住宅地などになり当時の遺構は消失しているようですが、時習館高校の西側付近に裏門と思われる門柱の一部が残っています。
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陸軍第十五師団 輜重兵第十五大隊
所在 豊橋市草間町 ほか
収録遺構 (2) 門柱 1, 軍用地境界標 1
実地調査 2013年 9月
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輜重兵第十五大隊は、第十五師団の隷属部隊で1906年(明治39)に創設されました。
その後、1925年(大正14)の軍縮で第十五師団の廃止にともなって一旦解隊されますが、1938年(昭和13)に日中戦争遂行のために第十五師団が復活すると再編され、中国戦線に出征したのち転進先のタイにて終戦を迎えました。
現在、敷地跡地は豊橋工業高校や住宅地などに変遷しており、当時の遺構は消失しているようですが、門柱や軍用地境界標と思われる遺構がわずかに残っています。 |
陸軍第十五師団 騎兵第二十六連隊 (陸軍第三師団 騎兵第二十六連隊)
所在 豊橋市王ヶ崎町 ほか
収録遺構 (4) 門柱 2, 歩哨 1, 軍用地境界塀 1
実地調査 2013年 9月
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| 調査当日は時間が割けず 敷地の一部分しか踏査が 出来ていませんっ▲
情報をお持ちでしたら、 是非教えてくださいっ★ |
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騎兵第二十六連隊は、第十五師団の隷属部隊で1909年(明治42)に創設されました。
その後、1925年(大正14)の軍縮で第十五師団の廃止にともなって第三師団の隷属に変更され、1931年(昭和 6)に発生した満州事変を皮切りに出征し、中国戦線の主要作戦に参加して戦果を挙げました。
昭和に入ると、騎馬に代わる兵器として戦車や自動車が近代戦の主力となり、騎兵連隊が機械部隊に移行していく中、同連隊は終戦を迎える最後まで騎兵部隊として活躍したそうです。
現在、敷地跡は住宅地や王ヶ崎合同宿舎などに変遷していますが、王ヶ崎合同宿舎の南側には当時の門柱や歩哨などが移設保存されており、見学することが可能です。
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豊橋陸軍兵器支廠 (名古屋陸軍兵器補給廠 豊橋分廠)
所在 豊橋市北山町 ほか
収録遺構 (6) 門柱 3, 歩哨 1, 軍用地境界塀 2
実地調査 2013年 9月
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豊橋陸軍兵器支廠は、東京の兵器本廠に隷属し第十五師団に関係する兵器弾薬・材料の購買やこれらの貯蔵・修理を行う機関として、1908年(明治41)に設置されました。
その後、軍縮によって第十五師団が廃止され、陸軍兵器廠条例の改正などにより、兵器の補給業務を統一する目的で、最終的に1940年 (昭和15) 以降は名古屋陸軍兵器補給廠の分廠として兵器類の材料や、その燃料などの保管と補給を行いました。
現在、敷地は愛知大学や市立南部中学校などになっており、当時の遺構が残っています。
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陸軍第十五師団 工兵第十五大隊 (陸軍第三師団 工兵第三大隊, 陸軍独立工兵第四連隊)
所在 豊橋市向山町
収録遺構 (4) 建物 1, 地下施設 1, 軍用地境界標 2
実地調査 2018年 12月
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工兵第十五大隊は第十五師団の隷属部隊として1908年(明治41)に創設されました。
その後、1925年(大正14)の軍縮で第十五師団の廃止にともない解隊され、第三師団に隷属する工兵第三大隊が移駐し、日中戦争に突入するとここで独立工兵第四連隊も編成され、どちらも出征先で終戦を迎えました。
現在、兵営跡地は県立豊橋商業高等学校や向山墓苑などに変遷していますが、当時の遺構群がわずかに残っています。 |
豊橋陸軍埋葬地 (豊橋陸軍墓地)
所在 豊橋市東田町
収録遺構 (9) 門柱 4, 軍用地境界標 1, その他 3, 墓標様
実地調査 2017年 8月
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豊橋陸軍埋葬地は豊橋市に展開した陸軍部隊の戦没者や戦病没者の方々が埋葬されている陸軍墓地で、当初は東前山に設置されていましたが1897年(明治30)に西前山へ移されました。
終戦時の墓地面積は 3,481坪といわれており、将校・下士官・兵卒・清兵の墓標や軍馬の塚・合葬墓などが建立されました。
終戦後、敷地は豊橋市に移管され現在は桜ヶ丘公園とともに維持管理されており墓標様のほか門柱や軍用地境界標・境界柵などが残っており見学することが可能です。 |