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 千葉県富津市の戦争遺跡一覧 (作成中ですっ) 収録遺構数:78 


陸軍東京湾要塞
元洲堡塁砲台


 所在
  富津市富津

 収録遺構 (21)
  砲座 7,
  地下施設 8,
  観測所 2,
  橋梁 1,
  その他 3

 実地調査
  2014 8
  2014年時点の詳細をご紹介します







富津元洲堡塁砲台は、国防充実の一環として、東京湾の防衛を目的に設置された東京湾要塞の
 1つで、海陸両方に対して砲撃を加えることが可能な堡塁砲台として、1884(明治17)に竣工しました。

ここには、28cm榴弾砲を 6門据え付けて防備にあたりましたが、1904(明治37)日露戦争旅順攻略での攻守城砲に使用するため、 2門がはずされ戦地に送られました。大正に入ると、旧式化に伴って軍縮廃止候補に挙がり、実際に使用されることなく除籍・廃止となって敷地は陸軍技術本部に引き継がれました。

現在、砲台跡は県立富津公園として整備され、見晴らし台などが建てられていますが、砲座や観測所などの遺構が残っています。



砲台跡は県立富津公園と
なっており、簡単に探訪
することが出来ますよ★

富津岬の見晴らし台より
至近距離にあるので是非
寄ってみてくださいね★
 智子:是非、立ち寄ってみてね★

陸軍技術本部
富津射場

 (陸軍兵器行政本部
  第一技術研究所
  富津試験場)


 所在
  富津市富津 ほか

 収録遺構 (10)
  砲座 1,
  建物 2,
  その他 7

 実地調査
  2014 8
  (継続調査中)
  2014年時点の詳細をご紹介します








富津射場は、機関銃や大口径砲などを使用して弾丸の速度や空気抵抗の測定を行ったり、命中試験・貫通試験・耐久試験などを行う目的で、1915(大正 4)に設置された試射場です。

当初、兵器技術の調査や研究を行う機関である陸軍技術本部の試射場として機能しましたが、1941(昭和16)の組織改編によって、陸軍兵器行政本部に属すこととなり、この傘下に入った第一技術研究所の試験場に使用されました。

現在、跡地は県立富津公園となっており、一部整地されていますが、監的や射入窖など当時の遺構が現存しています。
優子:どうなのかしら? 
 こちらも元洲堡塁砲台
 同様で県立富津公園内に
 残存していますよっ★

 結構歩きますがセットで
 探訪するのがいいです★

ちなみに、ここは何回か
探訪しているのですが、
全て天候は雨ですっ▲

どうやら、和泉軍團内に
雨女がいるようです▲
  富貴:わ、私じゃないわよっ▲

木更津第二海軍航空廠
佐貫地下軍需工場

(石川島航空工業
 佐貫地下軍需工場)


 所在
  富津市佐貫

 収録遺構 (12)
  建物 2,
  地下壕 9
  トンネル(消失) 1

 実地調査
  2006 2
  2006年時点の詳細をご紹介します
智子:乱開発しやがってっ▲
掲載している地下壕群は
十数年前の時点のもので
工事の進捗により破壊が
進んでいると思いますが
かつては、調査してきた
地下壕の中で最大規模を
誇っていました・・・  









木更津第二海軍航空廠は、海軍航空機の造修と補給を行うことを目的として、木更津にあった横須賀海軍航空技術廠の出張所を母体に1941(昭和16)に開設されました。

アジア太平洋戦争が始まると、航空機の消耗が激しくなり、木更津の本工場が拡張を迫られて君津にも分工場が建設されます。

1944(昭和19)に入ると戦局が逼迫し、空襲が危惧されたため、両工場の分散疎開が開始され周辺の学校や寺などに機能を分散させましたが翌年に入って、工場の機能維持と分散していた各工場の集約を目的として、君津市と富津市の境界にあたる山に地下工場が建設され、坑道の完成部分に工作機械を搬入し、順次操業を開始しています。なお、建設作業は飛島組が中心に請け負い、この中に強制連行されて作業に従事させられた朝鮮の人々も含まれており、工事は終戦の日まで続けられました。また、ここには横浜におかれた石川島航空工業の一部も疎開し戦争末期は工場として実際に機能しました。

戦後、これらの地下工場は山林内に放置された状態が続き、 1年がかりの内部調査で総延長が
 9,031mという長大な坑道群を確認しており、詳細な記録が行えています。しかし、その後にゴルフ場の建設工事が開始され、残念なことに現在は半分以上が消失しています。愚痴ですが何でこんな場所にゴルフ場なんでしょうかね?明らかにウラがあるとしか思えないです(怒)

陸軍東京湾要塞
金谷砲台


 所在
  富津市金谷

 収録遺構 (29)
  砲座 2,
  地下施設 2,
  建物 5,
  建物基礎 3,
  軍用地境界標 8,
  その他 9

 実地調査
  2017 5
  (継続調査中)
  2006年時点の詳細をご紹介します







金谷砲台は、東京湾の防衛を目的に設置された東京湾要塞の 1つで、関東大震災によって使用不能となった周辺砲台の応急措置として1924(大正13)に竣工しました。

竣工当初は、15cmカノン砲が 4門据え付けられ防備についていましたが、昭和に入り増築され150cm探照灯・10cmカノン砲 4門を増強配備しさらに、アジア太平洋戦争時には28cm榴弾砲も
 2門据え付けられますが、後に横須賀と函館の防備のために15cmカノン砲が撤去され、残った火砲編成で終戦まで防備につきました。

戦後、砲台跡地に遊園地が建設され、このうち遺構の一部が施設に利用されましたが、現在は閉園しており、山中に放置されています。


和泉:口で言うのは簡単だねっ▲ 
砲台跡は遊園地として
使われてたようですが
不況のせいか、現在は
閉園し荒廃してます▲

フェリーの乗り場から
近いので、公園として
整備するのはいかが?

陸軍東京湾守備兵団
抵抗拠点陣地

 (陸軍東京湾兵団
  抵抗拠点陣地)


 所在
  富津市金谷 ほか

 収録遺構 (6)
  地下壕 6

 実地調査
  2007 5
  (継続調査中)
  2007年時点の詳細をご紹介します
 和泉:頑張って探索するわよ★
陣地の見学は、重装備で
臨んでくださいね★    

なお、萩生周辺は調査を
継続中です♪          








東京湾守備兵団は、日本の本土におかれた12の永久要塞の 1つであった東京湾要塞を守備した重砲兵連隊要塞司令部を傘下に入れて1945(昭和20)に開設し、アメリカ軍が計画していた本土上陸作戦(コロネット作戦)に対抗して計画された「本土決戦作戦」の一環で、第一総軍の第十二方面軍の傘下に入り、房総半島の君津・天津小湊以南の沿岸防備にあたりました。

作戦の内容は、司令部を館山市の那古におき、アメリカ軍の上陸が予想される館山湾と千倉・平砂浦を中心に、既に構築されている砲台群を基幹に抵抗拠点を構築し迎撃するというもので火網を突破して上陸された場合に備え、北への進軍を阻止するための最終的な抵抗拠点を鋸山周辺にも構築しましたが、掘削の途中で終戦となりました。

陣地は、館山道の建設により一部が消失・封鎖されているものの、金谷地区に集中して残り、いくつかの陣地は内部見学も可能です。この他萩生にも陣地を 1つ確認していますが、周辺を細かく見ていないので、この他に残存している可能性が高いです。(調査を継続中です★)


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