木更津海軍航空隊 (木更津海軍航空基地)
所在 木更津市江川
収録遺構 (28) 門柱 1, 建物 1, 建物基礎 2, 飛行機掩体 3, 地下施設 9, 橋梁 1, 地下壕 2, その他 8 その他(消失) 1
実地調査 2021年 11月 (調査継続中)
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敷地をアメリカ軍から 借りているから遺構を 壊せないのですかね?
当時の遺構がたくさん 残存していますよっ★ | | |
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木更津海軍航空隊は、平時は帝都の防空任務を担当し、戦時は戦略拠点から長距離攻撃を行う航空隊として1936年(昭和11)4月に開設され、東京湾を埋め立てて飛行場が建設されました。当初、航空隊の新規開設に際し木更津の他にも市川・市原・君津の海岸線が候補地に挙がったようですが、当時の木更津町が積極的に誘致を行ったことで飛行場建設が実現したそうです。
開設から1年後の1937年(昭和12)に入ると日中関係が泥沼化し、盧溝橋事件を発端に中国への全面的な侵略が開始されると、南京におかれた中国政府を倒す方針が決まり、同航空隊は戦略爆撃を行うために前線地である長崎県の大村を経由して南京に爆弾を投下しました。この渡洋爆撃は日本で最初となるものでしたが、当時の世界でも例がほとんどなく、同航空隊の名前を広めました。日本は、この無差別爆撃によって世界から非難を浴びましたが、この攻撃で中国政府が日本に屈服すると考えていたようです。しかし、中国政府は首都を武漢や重慶に遷して抗日の意思を明らかにし徹底抗戦の構えを見せ同航空隊は上海・漢口・重慶などにも出航して爆撃を加え陸軍部隊を支援しました。ちなみに同航空隊が実行した渡洋爆撃は、敵国の戦意を挫く目的として、以降の大戦で世界各国が実行するようになりました。
やがて、太平洋戦争に入ると同航空隊は帰還し本州や北海道地方の哨戒任務に従事しますが、1942年(昭和17)にニューブリテン島へ出撃しガダルカナル島やニューギニア東部の諸作戦に従事して駐留先で解隊となりました。その後、木更津の飛行場は拠点基地として継続使用され終戦となりました。
戦後、敷地はアメリカ軍に使われていましたが現在は陸上自衛隊が間借りをして使用しており敷地内には当時の遺構が多く残っています。
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第二海軍航空廠
所在 木更津市 巌根 1 ほか
収録遺構 (42) 建物 21, 地下施設 1, 軍用地境界標 1, その他 7 建物(消失) 7, 軍用地境界標(消失) 3, その他(消失) 2
実地調査 2018年 12月 (調査継続中)
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第二海軍航空廠は、海軍航空機の造修と補給を行うことを目的として木更津に設置されていた海軍航空技術廠の出張所を母体に1941年(昭和16)に開設されました。
ここに兵器部と発動機部・飛行機部・補給部が設置され航空兵器や材料の造修や供給に携わりました。また鈴鹿や硫黄島に分工場と、館山や香取・平塚・横須賀などに補給工場がおかれ、一時は日本最大の海軍航空機の修理工場として機能したといわれています。その後、航空機の消耗が激しくなったことによって施設の拡張を迫られ君津市にも分工場が設置されています。
1944年(昭和19)に入ると戦局が逼迫し空襲が危惧されたため、工場機能の疎開が開始されて周辺の学校や寺などに分散されましたが、のち君津市と富津市の境界にあたる山に地下工場が建設されると集約され、地下工場の完成部分に機械類を搬入し、造修ラインを維持しました。
現在、本工場の跡地は航空自衛隊の木更津第一補給処や木更津倉庫などの敷地となっており、当時の遺構がわずかに残っています。 |
木更津海軍航空隊 江川軍用線
所在 木更津市中里 ↓ 木更津市江川
収録遺構 (2) 橋梁 1, その他(消失) 1
実地調査 2011年 2月
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| | 敷地内には、国有地の 看板と入札者の募集を 告知する看板が立って ましたよ・・・▲
こういう細長い土地に 買い手がつくのかな▲ |
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江川軍用線は、航空隊で使用する兵器や弾薬・資材などを内房線経由で搬入するための目的で敷設され、軍用線の完成時期は航空隊の開設と同じタイミングであると推測しています。
戦後も、一時期は敷地を接収したアメリカ軍や敷地を借りている自衛隊で使用されていたようですが、現在は完全に廃線となっています。
2004年(平成16)10月の調査では線路を中心に当時の遺構が残存していましたが最近の調査で線路は完全に撤去され、軍用線の全ての敷地が国の期間入札売払物件となって入札者の募集を行っていることが判り、これが落札された場合開発で消滅する可能性があり、予断を許さない状況に陥っています。
ふむぅ・・・この敷地を 緑道として整備するのが 一番良さそうですがね★ 軍用線の跡を緑道として 景観を壊さず活用してる 例は色々ありますよっ★ | | |
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第二海軍航空廠 巌根軍用線
所在 木更津市中里 ↓ 木更津市巌根 1
収録遺構 (7) 橋梁 6, その他 1
実地調査 2011年 2月
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軍用線敷地の北側は、 駐車場に使われており 車がおかれています★
線路が完全な姿で残る ケースは貴重ですよ★ | | |
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巌根軍用線は、航空廠への資材搬入や造修品の搬出を内房線経由で行うことを目的に敷設され軍用線の完成時期は航空廠の開設とほぼ同じであると推測しています。
戦後も、一時期は自衛隊で使用されていたようですが、現在は完全に廃線となっており敷地は国有地として管理されています。
しかし、江川軍用線とは対照的で線路が完全に残存しており、複数の河川に架けられた橋梁も比較的良好な状態を保って残っています。一部立ち入りが制限されている箇所があるものの、当面はこのままの状態が続くと思われます。
| 海軍の軍用線って、陸軍 みたいに軍用地境界標を 設置しないのですかね? 横須賀の水道路は丁寧に 設置しているのに・・・ |
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横須賀海軍警備隊 木更津防空砲台
所在 木更津市 太田 2 ほか
収録遺構 (1) 建物基礎 1
実地調査 2019年 1月 (調査継続中)
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木更津防空砲台は、横須賀軍港を統括していた横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、軍港周辺の防衛任務についた横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台として、木更津に設置されていた海軍航空廠と海軍航空隊の諸施設を防衛する目的で建設されました。
残念ながら、当方で資料を揃えることが出来ず構築された時期や場所などの詳細は不明ですが木更津飛行場の南東に 2ヶ所と北西に 1ヶ所の合計 3ヶ所にわたり、12.7センチ連装高角砲や12センチ高角砲・25ミリ機銃などが設置されこのうちの 1ヶ所は太田山公園に変遷しており当時の建物跡と推測する遺構が残っています。
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