陸軍造兵廠 遠江射場 (東京第一陸軍造兵廠 遠江射場)
所在 掛川市浜野 ほか
収録遺構 (19) 砲座 4, 建物 9, トンネル 1, 建物基礎 4, その他 1
実地調査 2016年 4月
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遠江射場は東京・名古屋・大阪などにおかれた各造兵廠で造修した銃砲類の試射を目的として1938年(昭和13)に設置されました。
ここでは、現在の掛川市に位置する原点砲列に砲を据え付け、東側に位置する御前崎市方向へ向けて砲弾を撃ち込んで 500m〜1000mごとに設置された観的所で着弾を観測していました。
1940年(昭和15)に入ると、造兵廠の組織改定が行われ、東京第一造兵廠の試射場として機能し銃砲の性能向上により射程距離が伸びたことで新たに東端部分の敷地を買収して敷地を拡張し最終的に東西16km・ 984haの広大なものになり終戦まで存続しました。
現在、遠江射場の敷地跡は掛川市と御前崎市に跨っており、工場や住宅・砂丘などに変遷していますが掛川市についてはダイトーケミックス静岡工場の東側に当時の遺構が集中して残存し見学することが可能です。
| 残存する遺構の大半は 掛川市に分布しますが 御前崎市にもいくつか 残っていますよっ★ |
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陸軍造兵廠 遠江射場 浜野軍用線
所在 掛川市浜野 ほか
収録遺構 (2) 建物 1, その他 1
実地調査 2016年 4月
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遠江射場の軍用線は試射を行うための銃砲類や弾薬類の運搬を目的に敷設され、東海道本線の袋井駅から中遠鉄道の線路を使用する形をとり敷地内へと線路が引き込まれていました。
終戦と同時に軍用線は廃止され、一部の区間を静岡鉄道が引き取って旅客営業を行いましたが現在は廃止されて道路や田畑などとなっており面影がありませんがプラットホームや関連する建物が残存しています。このほか、廃止された静岡鉄道の線路跡や橋脚・トンネルなども残存しており、廃線跡をたどることも出来ます。 |
中島飛行機 浜松製作所 原谷地下軍需工場 (第一軍需工廠 第十三製造廠 原谷地下軍需工場)
所在 掛川市本郷 ほか
収録遺構 (7) 地下壕 4, トンネル 1, その他 2
実地調査 2016年 4月
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中島飛行機は、1917年(大正 6)に創設された、民間の航空機製作会社です。特筆に値する製作戦闘機に「隼」や「疾風」などがあり、戦前の日本を代表する陸軍・海軍御用達の戦闘機製造会社として、「零戦」などの設計で有名な三菱重工業と双璧をなします。
昭和に入ると、近代戦の主力が航空機となり、戦闘機の需要が急激に伸びたことで全国各地に工場が設置され、その中で浜松製作所は陸軍で使用する戦闘機のエンジンや計器類を増産する目的で1942年(昭和17)に開設されました。
太平洋戦争の末期は航空機工場の国営化により中島飛行機は第一軍需工廠に改称されますが、工場がアメリカ軍による戦略爆撃の目標とされ空襲を受けるようになったことで浜松製作所の生産ラインを維持するための疎開工場が掛川に建設されました。
ここには、36の疎開工場と 6工区に分別される地下工場の壕が約 100本新設され、このうちの一部はシリンダーや大型歯車などが実際に生産されますが地下工場全体として生産することは出来ず、若干の機材を搬入したところで終戦となりました。
戦後、これらの地下工場は山林内に放置された状態が続き、その後のゴルフ場の建設によって全体の半分くらいが消失しましたが、それでも多くの地下壕が現存しています。
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