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 静岡県沼津市の軍事遺跡一覧 (作成中ですっ★) 収録遺構数:20 


 沼津海軍工廠


 所在
  沼津市
  北高島町 ほか

 収録遺構 (2)
  その他 2

 実地調査
  2016年 10月






沼津海軍工廠は、横須賀海軍工廠の施設分散を目的に1943年(昭和18)に開設されました。

ここでは、主にレーダーや航空無線機の製造が行われ太平洋戦争の終戦までに23,000名もの工員が従事していたようです。

現在、敷地跡地は学校や住宅地などに変遷して当時の面影がありませんが、敷地の北側にある明治資料館に水道関係の遺構が保存されており当時の遺物も展示されています。

 海軍技術研究所
 音響研究部


 所在
  沼津市下香貫 ほか

 収録遺構 (6)
  地下壕 1,
  軍用地境界標 1,
  その他 4

 実地調査
  2020年 12月

  2016年時点の詳細をご紹介します








海軍技術研究所は、兵器や機器の開発・研究を行う目的で1923年(大正12)に設立しました。

1941年(昭和16)に入ると三方を山に囲まれた沼津市内の下香貫の土地を買収して、この内部部門であった音響研究部が移転しました。

ここでは、空中・水中聴音機や潜水艦探知機・電波航法・魚探技術などの開発や研究が行われ戦争末期は多比や長岡の石切場を転用した地下工場も建設されました。

現在、跡地は市立第三中学校や住宅地・山林に変遷していますが、わずかに遺構が残ります。

 横須賀海軍警備隊
 沼津防空砲台


 所在
  沼津市
  中沢田 ほか

 収録遺構 (3)
  地下施設 3

 実地調査
  2016年 10月

  2016年時点の詳細をご紹介します





沼津防空砲台は、横須賀軍港を統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、軍港周辺に対する防衛任務についた横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台として、沼津海軍工廠をはじめとした軍事施設を防衛することを目的に1944年(昭和19)に建設されました。

ここには12.7センチ連装高角砲が2門と25ミリ機銃が2基・13ミリ機銃が4基据え付けられて防備にあたりました。

現在、跡地は畑地や住宅などに変遷しており、面影がなくなってしまっていますが、弾薬庫と思われる全面コンクリート製の地下施設が 3つ残っています。

 海軍施設本部
 外原実験場


 所在
  沼津市
  下香貫外原 ほか

 収録遺構 (2)
  地下施設 1,
  その他 1

 実地調査
  2020年 12月









施設本部は、海軍の築城・建築に関わる計画や審査・実験などを掌る海軍省の外局組織としてこの前身の建設局からの改編によって1941年(昭和16)に発足しました。

1944年(昭和19)に入ると、築城や土木工事に関わる技術の向上を目的として、その実験場が設置され終戦まで機能が存続したようです。

敷地は沼津市と清水町にまたがっており、沼津市内の跡地は外原公園や住宅地などに変遷して面影がなくなっていますが外原公園内に遺構がわずかに残っています。



 横須賀海軍鎮守府
 第一特攻戦隊
 重寺基地


 所在
  沼津市
  内浦重寺

 収録遺構 (3)
  地下壕 3

 実地調査
  2021年 8月

  2021年時点の詳細をご紹介します








第一特攻戦隊は、太平洋戦争で日本軍の戦局が圧倒的に劣勢となったことで、その後の展開が予想された本土決戦に備え編成された特別攻撃部隊で、1945年(昭和20)に司令部が三浦市の油壷地区に設置されました。

重寺基地には、第一特攻戦隊の隷下部隊である第十五突撃隊が展開し、海龍を格納するための地下壕や付属施設がおかれていたようです。

現在、海龍の格納壕をはじめとする地下壕群が現存しており、中に入ることは困難ですが入口部分を見ることが出来ます。

 横須賀海軍鎮守府
 第一特攻戦隊
 重須基地


 所在
  沼津市
  内浦重須

 収録遺構 (2)
  地下壕 2

 実地調査
  2021年 7月









重須基地は、きたる本土決戦に備え編成された第一特攻戦隊の基地として1945年(昭和20)に設置されました。

ここには隷下部隊である第十五突撃隊が展開し海龍を格納するための地下壕が12本掘削されていたようです。

現在、格納壕の大半が倉庫に活用されており、中に入ることが困難ですが、重須地区をはしる県道に沿って入口部分を見ることが出来ます。

 独立混成第一一七旅団
 抵抗拠点陣地


 所在
  沼津市
  西浦古宇 ほか

 収録遺構 (1)
  地下壕 1

 実地調査
  2021年 2月
  (継続調査中)

  2021年時点の詳細をご紹介します





独立混成第一一七旅団は、1945年(昭和20)に編成され、独立歩兵第七〇七大隊から独立歩兵第七一二大隊の6個部隊を基幹としました。

その後は司令部を現在の沼津市に移して、第一総軍第十二方面軍に所属した第五十三軍の傘下部隊として、来たる本土決戦に備えて駿河湾の防衛任務につきましたが、富士三島・沼津の山中で抵抗拠点となる陣地を構築途中に終戦となりました。

沼津市については調査を継続していますが西浦地区や香貫山に陣地が現存しています。

 沼津御用邸
 防空壕


 所在
  沼津市下香貫

 収録遺構 (1)
  地下施設 1

 実地調査
  2020年 8月









沼津御用邸は1893年(明治26)に造営が始まり当時は皇太子であった大正天皇の保養のために使われました。

大正天皇の崩御後も、昭和天皇をはじめとする皇族の別荘として1969年(昭和44)まで使われました。

現在は沼津市により沼津御用邸記念公園として整備されており建物や敷地内を見学することが出来ます。また、非公開ですが防空壕が残存し入口部分を見ることが可能です。

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