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 東京都目黒区の軍事遺跡一覧 収録遺構数:4 


 陸軍第一師団
 輜重兵第一大隊


 所在
  目黒区大橋 2

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2006年 3月






輜重兵第一大隊は、第一師団に隷属する部隊で当初は信濃町におかれていました。ところが、兵員数の増加にともなって敷地が手狭になり、市区改正条例の発効により1892年(明治25)に当時は「駒場野」と呼ばれたこの地区へ兵営を移転させました。輜重兵は、各師団に隷属する支援部隊の 1つで、前線へ弾薬や糧秣類などを運搬して補給する「縁の下の力持ち」といった役割を持っていました。

現在、跡地には都営住宅や駒場高校・区立第一中学校などが建てられており、面影がほとんどありませんが、氷川神社裏手に軍用地境界標が
 1つだけ残っています。



 東京陸軍砲兵工廠
 目黒火薬製造所

 (海軍技術研究所)


 所在
  目黒区中目黒 1

 収録遺構 (1)
  門柱 1

 実地調査
  2006年 5月
  (継続調査中)


今度、敷地公開日を
狙って調査します★

目当ての遺構が記録
出来るといいなっ★
恵麻:調査は続行しますっ★ 

目黒火薬製造所は、産業に使う火薬を製造する工場として明治政府により1885年(明治18)に開設されました。その後、1893年(明治26)に東京陸軍砲兵工廠へ移管され火薬の生産が継続されましたが1923年(大正12)に発生した関東大震災によって被災し、群馬の岩鼻(高崎市)に施設を移転しました。

昭和に入り、敷地は陸軍から海軍に移管され、1930年(昭和 5)には、それまで築地におかれた海軍技術研究所がこの地に移転し、ミサイルを中心とした海軍兵器の開発や研究などが行われ終戦まで機能が存続しました。

現在、敷地は防衛省の技術研究所となっており普段は立入が出来ないので、内部の詳細は確認出来ていませんが、施設の入口に当時の門柱が残存しています。また、内部を知る方の話では当時の建物が 2棟と地下壕が残存しているとのことです。(調査継続中です★)



 東京陸軍砲兵工廠
 白金火薬庫
 白金軍用線


 所在
  目黒区白金台 5
   ↓
  目黒区中目黒 2

 収録遺構 (2)
  軍用地境界標 2

 実地調査
  2006年 5月








白金火薬庫は、中目黒におかれていた目黒火薬製造所で製造された火薬類の貯蔵を目的として隣接する白金台に施設がおかれました。また、火薬類の運搬を円滑に行うために双方の施設を結ぶ軍用線も敷設されました。

軍用線は、火薬製造所の移転により役目を終え現在は線路が撤去されており、住宅が密集していますが、一部の区間は生活道路に活用され、道路に沿って軍用線の敷地であったことを示す軍用地境界標が 2つ残存しています。

標柱はいずれも花崗岩製で、片方は下部が階段部分に埋まり全容が判りませんが、もう 1つは正面に「陸軍用地」の文字が明朝体で刻まれており、側面には通番を表す番号である「38」が入っています。なお、いずれも上部には敷地の境界線を示した印が入っています。

白金火薬庫の敷地は、
国立白金自然教育園に
なっていますが、昔に
軽く中を見て、遺構は
ないと判断しました▲

もう一度、今の能力を
基に、本気で見直して
みようかしらね・・◆
祐実:昔の調査能力は現在の半分以下なんで・・


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