陸軍東京湾要塞 三崎砲台
所在 三浦市 南下浦町金田 ほか
収録遺構 (17) 門柱 1, 観測所 3, 地下施設 3, 軍用地境界標 4, その他 6
実地調査 2020年 3月
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三崎砲台は東京湾要塞の 1つで、三浦半島の南方海面の防備を主目的として1921年(大正10)に竣工しました。
ここに30センチ長榴弾砲が4門据えつけられ砲の射程は約15キロありましたが、1938年(昭和13)にトーチカ攻撃用として全ての砲が撤去され満州に移されたことで1943年(昭和18)に除籍され廃止となりました。
現在、跡地は丘陵を利用した畑地に変遷してほとんど面影がありませんが観測所の遺構や門柱などが残っています。 |
陸軍東京湾要塞 城ヶ島砲塔砲台
所在 三浦市 三崎町城ケ島
収録遺構 (23) 地下施設 6, 観測所 2, トンネル 2, 建物基礎 1, 軍用地境界標 10, その他 2
実地調査 2006年 4月
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城ヶ島砲塔砲台は、1923年(大正12)の関東大震災で被害を受けた東京湾要塞の要塞整理事業の一環で1926年(大正15)に新設された砲台です。
ここには、ワシントン軍縮条約で除籍された戦艦「安芸」の副砲である2門入の25センチカノン砲の砲塔が2基据えつけられたほか、付属施設が設置されました。
現在、跡地は城ヶ島の面積の約半分を占める県立城ヶ島公園に変遷し整地されていますが遺構が残り一部は保存されています。
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陸軍東京湾要塞 剣崎砲塔砲台
所在 三浦市 南下浦町金田 ほか
収録遺構 (7) 砲座 2, 建物 2, 地下施設 2, その他 1
実地調査 2006年 4月
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剣崎砲台は東京湾要塞の1つで、1927年(昭和2)に竣工し15センチカノン砲2門入砲塔が2基据え付けられ大房岬砲台と連携して東京湾に向かい侵入する敵艦船に対する防圧を目的としました。
現在、跡地は丘陵を利用した畑地に変遷して往時の全容は判然としませんが、砲座部分や地下施設の一部が現存しています。 |
海軍東京湾要塞地帯
所在 三浦市 南下浦町上宮田
収録遺構 (1) 軍用地境界標 1
実地調査 2016年 2月
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東京湾要塞は日本の本土におかれていた永久要塞のうちの1つで、1895年(明治28)の要塞司令部の条例によって、永久的な防御工事が施された場所を「要塞」とし、海軍の場合も砲台や軍港を「要塞地帯」と定義しました。また、これにともなう法律も公布されており軍事機密の保持のため要塞地帯に指定された区域内での測量や撮影・スケッチ・土木工事などは要塞司令部の許可が必要で、これらの防御営造物より250間(約455メートル)内を要塞地帯「第一区」として一般人の立入りが禁止され、防御営造物からの距離に対応した「第二区」・「第三区(区域)」も設けられてこれらを明確にするためその境界部分に要塞地帯標が設置されました。
要塞地帯を定義する法律は、数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から1キロ以内を第一区・5キロ以内を第二区・15キロ以内を第三区(区域)と当初よりも大幅に拡大されました。
三浦市についても軍港や防空砲台などからの距離に応じた要塞地帯標が現存しています。 |
横須賀海軍工廠 通信実験部 初声実験所
所在 三浦市 初声町高円坊
収録遺構 (4) 軍用地境界標 2, その他 2
実地調査 2014年 6月
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初声実験所は、横須賀海軍工廠の内部部門である通信実験部の受信実験所として1940年(昭和15)に設置されました。
ここでは受信実験のほかに方位測定機などの実験なども行われており1945年(昭和20)の組織改定で通信実験部が横浜におかれていた海軍航空技術廠の支廠と統合して第二海軍技術廠として独立しますが、その後も引き続き無線通信実験所に終戦まで使われました。
現在は、戦前からの無線施設を引き継ぐ形で関東総合通信局の電波センターが設置され、建物は消失しているようですが敷地の境界に軍用地境界標や塀の支柱などが残ります。 |
横須賀海軍通信隊 初声分遣隊
所在 三浦市 初声町高円坊
収録遺構 (4) 建物基礎 1, 軍用地境界標 1, その他 2
実地調査 2014年 7月
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初声分遣隊は、無線の受信を目的に開設され兵舎や方位測定所などが設置されて終戦まで機能が存続していました。
終戦後、施設は現在の三浦市に払い下げられ初声中学校の校舎に使われていたそうですが現在は下宮田地区に移転し跡地は田畑などになっています。
当時の遺構としては軍用地境界標や境界柵の一部・建物跡などの残存を確認しています。 |
横須賀海軍鎮守府 城ヶ島野砲陣地
所在 三浦市 三崎町城ケ島
収録遺構 (6) 砲座 2, 建物 2, 建物基礎 2
実地調査 2016年 2月
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城ヶ島野砲陣地は、城ヶ島砲塔砲台の側面を防備する目的で臨時に設置された砲兵陣地で1943(昭和18)に工事が開始されました。
ここには7センチ速射カノン砲が4門設置され防備についたようですが、太平洋戦争の終戦間際に2門が他へ移されたようです。
現在、陣地跡のほとんどが荒地になっており判然としませんが、建物や関連する遺構群がいくつか残っています。 |
横須賀海軍鎮守府 第一特攻戦隊 油壷基地
所在 三浦市 三崎町小網代
収録遺構 (10) 建物 2, 地下施設 1, 地下壕 4, その他 3
実地調査 2017年 1月
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第一特攻戦隊は太平洋戦争で日本軍の戦局が圧倒的に劣勢となったことにより、本土での決戦に備えて1945年(昭和20)に編成された特別攻撃部隊で、東大臨海実験所を接収して本部をおき、この隷下である第十一突撃隊の基地が油壷をはじめ、小網代・諸磯・江奈におかれていました。
このなかで油壷基地は司令部をはじめ海龍・震洋の格納庫と付属施設などがおかれていたようです。
現在は東大臨海実験所をはじめ、油壷公園・別荘地などになっていますが油壷湾に沿って関連する地下壕群が多く残っています。 |
横須賀海軍鎮守府 浜諸磯洞窟砲台
所在 三浦市三崎町諸磯
収録遺構 (1) 地下壕 1
実地調査 2016年 12月
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浜諸磯洞窟砲台は、戦争末期にアメリカ軍が計画した「コロネット作戦」と呼ぶ日本本土上陸作戦に備え策定された水際決戦の一環で構築された洞窟式砲台で15センチカノン砲が2門据付けられました。
終戦後は、砲室内に別荘が建てられて住居に使用されましたが、現在は廃墟となっており内部の見学が可能です。 |
横須賀海軍鎮守府 第一特攻戦隊 諸磯基地
所在 三浦市三崎町諸磯
収録遺構 (4) 地下壕 1, トンネル 2, その他 1
実地調査 2006年 1月
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第一特攻戦隊は太平洋戦争で日本軍の戦局が圧倒的に劣勢となったことにより、本土での決戦に備えて1945年(昭和20)に編成された特別攻撃部隊で、司令部を油壷におき周辺に多くの基地が設置されていました。
このなかで諸磯基地は、第一特攻戦隊の隷下部隊であった第十一突撃隊が展開し、海龍の格納庫をはじめとした施設がおかれました。
現在は水産加工会社や造船所などに変遷して一部の壕やトンネルが活用されています。 |
横須賀海軍鎮守府 黒崎洞窟砲台
所在 三浦市初声町三戸
収録遺構 (3) 地下壕 3
実地調査 2016年 12月
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黒崎洞窟砲台は戦争末期にアメリカ軍が計画した「コロネット作戦」と呼ぶ日本本土上陸作戦に備え策定された水際決戦の一環で構築された洞窟式砲台で15センチカノン砲が3門据付けられました。
終戦後は砲室内部を改造し住居に活用されていましたが、現在は廃墟となっており内部の見学が可能です。 |
横須賀海軍鎮守府 第一特攻戦隊 江奈基地
所在 三浦市 南下浦町松輪
収録遺構 (2) 地下壕 2
実地調査 2006年 8月
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第一特攻戦隊は太平洋戦争で日本軍の戦局が圧倒的に劣勢となったことにより、本土での決戦に備えて1945年(昭和20)に編成された特別攻撃部隊で、司令部を油壷におき周辺に多くの基地が設置されていました。
このなかで江奈基地は、第一特攻戦隊の隷下部隊である第十一突撃隊の第五十六震洋隊の183名が展開し、約60艇の震洋が配備されていたようです。
現在は、住宅や県道の法面工事などで震洋の格納壕をはじめとする遺構の大半は消失しているようですが、わずかに残存しています。また、江奈湾から少し離れた大浦海水浴場に震洋の格納壕が残っています。
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横須賀海軍鎮守府 抵抗拠点陣地
所在 三浦市 初声町三戸 ほか
収録遺構 (18) 地下壕 17 その他(移設) 1
実地調査 2021年 6月
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横須賀海軍鎮守府は、海軍条例により定めた海軍区のうち第一海軍区(東北〜近畿の一部と小笠原の各沿岸海域)を統括した組織で、この前身である東海鎮守府を1884年(明治17)に横須賀へ移したことにより開設されました。
太平洋戦争の末期は、アメリカ軍が計画した日本本土上陸作戦の1つであったコロネット作戦に対し日本軍は本土決戦を展開するため各沿岸には抵抗拠点が設けられ、このなかで三浦市は城ヶ島・油壷・黒崎・諸磯・金田・三戸浜などに洞窟陣地が構築されています。
陣地は一部の入口が封鎖されているものの、放置されており見学が可能です。 |