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 神奈川県藤沢市の戦争遺跡一覧


横須賀海軍水道路
半原系統


 所在
  藤沢市高谷
    ↓
  藤沢市葛原

 収録遺構 (44)
  橋梁 3,
  軍用地境界標 41

 実地調査
  2007 4
  2007年時点の詳細をご紹介します



水道路のほとんどは、
道路になっているので
簡単に歩けますよっ★

適度にアップダウンが
あるので、いい運動に
なりますよっ♪
せりな:私にとっては過酷でした★

横須賀海軍水道路は、横須賀市におかれていた横須賀海軍工廠を中心とした海軍施設に対して水を供給する目的で、1876(明治 9)に専用の水道が走水の水源地より敷かれました。しかし施設の拡大に伴って水の需要が増えてしまい、この専用水道だけでは供給不足となり、新たに相模川の支流となる中津川を水源に、愛川町の半原より横須賀市の逸見浄水場までの約53kmにわたる長大な水道路の敷設が計画され、1918(大正 7)に半原系統として通水し、藤沢市内を縦断しています。

戦後、水道路は横須賀市に移管されて、市民が使用する水道として使われていますが、当時の遺構が現在も残存しています。なお、案内板はありませんが、水道路の大半は道路として整備されており、簡単に歩くことが出来ます。運動不足の解消に歩いてみてはいかがでしょうか?丁度良い間隔で遺構も残っているので、退屈もすることなく楽しめるかと思いますがっ★

横須賀海軍鎮守府
江ノ島洞窟砲台


 所在
  藤沢市
  江ノ島 2 ほか

 収録遺構 (2)
  地下壕 2

 実地調査
  2006 7
  2006年時点の詳細をご紹介します




江ノ島洞窟砲台はアジア・太平洋戦争の末期にアメリカ軍が計画をした「コロネット作戦」と呼ぶ日本本土上陸作戦に備えるため策定された水際決戦の一環で構築された洞窟式の砲台で、15センチカノン砲が 2門据付けられました。

現在、洞窟砲台は放置された状態で残っており見学することが可能です。

横須賀海軍鎮守府
抵抗拠点陣地


 所在
  藤沢市
  江ノ島 2 ほか

 収録遺構 (2)
  地下壕 2

 実地調査
  2006 7
  2006年時点の詳細をご紹介します



もしかしたら、東側にも
陣地が残存しているかも
しれません・・・

ちなみに、西側の陣地は
山を登らずに海岸側から
進むとすぐ判りますよ★
畝傍:祐実さん、もう一回だけ行きましょうっ★

横須賀海軍鎮守府は、海軍条例によって定めた
 5つの海軍区のうち、第一海軍区 (東北地方〜近畿地方の一部と小笠原の各沿岸海域) を統括した海軍組織で、1884(明治17)に前身である東海鎮守府を横須賀へ移したことによって開設されました。

アジア・太平洋戦争の末期にアメリカ軍が計画した「コロネット作戦」に備え日本軍は「本土決戦作戦」を展開するため藤沢地区の江ノ島が鎮守府の防衛対象となり洞窟砲台や洞窟陣地が構築され、対岸を護る陸軍第五十三軍と連携し火砲網を形成しました。

陣地は、江ノ島の山全体にわたって構築され、東側はヨットハーバーなどの建設によって消失しているものの、西側はほとんど現存しており見学することが出来ますが、一部水没している箇所があるので注意が必要です。


海軍東京湾要塞地帯

 所在
  藤沢市朝日町

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2014 4






東京湾要塞は、日本の本土におかれた12箇所の永久要塞のうちの 1つです。1895(明治28)の要塞司令部条例によって、永久的な防御工事を施している場所は「要塞」とされ、海軍の場合砲台や軍港が「要塞地帯」とされました。またこれに伴う法律も公布されており、軍事機密の保持のため、要塞地帯に指定された区域内での測量や撮影・スケッチ・土木工事などは、要塞司令部の許可がないと出来ませんでした。またこれらの防御営造物より250(455メートル)以内を特に「要塞地帯第一区」として一般人の立入りが禁止され、衛兵が守備していました。さらに、その距離に応じ「第二区」・「第三区(区域)」が設定され、これらを明確にするためその境界部に要塞地帯標が設置されました。

要塞地帯を定義する法律は数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から 1,000メートル以内を第一区・ 5,000メートル以内を第二区・15,000メートル以内を第三区(区域)と当初よりも大幅に拡大されました。

藤沢市については要塞地帯第三区に定められた箇所があり、要塞地帯標が藤沢市役所前に移設保存されています。


東京螺子製作所
藤沢工場
片瀬地下軍需工場


 所在
  藤沢市片瀬 1

 収録遺構 (2)
  地下壕 2

 実地調査
  2006 3
  2006年時点の詳細をご紹介します




東京螺子製作所は民需用のネジ部品を製造する目的で1898年(明治31)に開業した民間企業で、1913年(大正 2)より航空機に使用するボルトやナットなどの製造が開始されました。その後、工場の拡張を目的に藤沢に移転しました。

昭和時代に入り、日中戦争が泥沼化すると軍需増強の必要から軍の共同管理工場の指定を受け薬莢や弾丸などの製造にも携わり、太平洋戦争末期は防空対策で工場背面の山にも地下工場が掘削されています。

資料が揃わず当時の遺構がどのくらい残るのか不明ですが、背面の山には封鎖された地下壕がいくつか残っています。


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