下志津陸軍飛行学校 銚子分教所
所在 銚子市 上野町 ほか
収録遺構 (1) 軍用地境界標 1
実地調査 2018年 10月
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下志津飛行学校は、主に航空偵察の教育を行う目的で、埼玉県所沢市におかれた航空学校から独立して1924年(大正13)に開設され千葉市に校舎や飛行場が設置されました。1941年(昭和16)に入ると学校の規模を拡大し八街と銚子に分教所が設置されることになりました。
しかし、太平洋戦争の戦局悪化で学校を閉鎖し1944年(昭和19)以降は下志津教導飛行師団の飛行部隊として戦力化され前線に出撃して特攻作戦の一部を引き受けました。
現在、跡地は住宅地や畑地に変遷しているため面影が全くありませんが、上野町配水場付近に軍用地境界標が 1つだけ残っています。
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横須賀海軍鎮守府 第一特攻戦隊 飯沼基地
所在 銚子市 清水町 ほか
収録遺構 (2) 地下壕 2
実地調査 2016年 8月
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第一特攻戦隊は、太平洋戦争の戦局が圧倒的に 劣勢となったことに伴って、来たる本土決戦に備え編成された特別攻撃部隊で主に房総半島と三浦半島の南部の防衛を担当し、上陸のために接近する艦船に対して水上特攻艇の「震洋」・水中特攻艇の「海龍」「蛟龍」や、人間魚雷の「回天」を配備し特別攻撃を行うための拠点が各地におかれており、銚子の清水地区周辺にも基地が設置されていました。ここには、同隊の傘下である第一三九震洋隊が展開し 174名の人員と26艇の震洋が配備についたようです。
現在、擁壁工事などで見えなくなっていますが震洋の格納壕が少し残っています。また、少し離れた南西部にも関連していたものと推測する地下壕が残っています。
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横須賀海軍鎮守府 第一特攻戦隊 笹本基地
所在 銚子市笹本町
収録遺構 (2) 地下壕 2
実地調査 2016年 8月
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第一特攻戦隊は、太平洋戦争の戦局が圧倒的に 劣勢となったことに伴って、本土決戦に備えて編成された特別攻撃部隊で1945年(昭和20)に神奈川県の三浦市に司令部がおかれました。
この隊が防衛する範囲は、主に房総半島と三浦 半島の南部とされ、上陸のため接近する艦船に 対し、水上特攻艇の「震洋」や、水中特攻艇の 「海龍」「蛟龍」・人間魚雷「回天」を配備し 特別攻撃を行うための基地が設置されました。
資料が乏しく全容は判っていない状況ですが、笹本地区にも第一三九震洋隊のものと推測する基地がおかれており、地下壕が残っています。 |
香取海軍航空隊
所在 銚子市 西芝町 ほか
収録遺構 (1) 建物(消失) 1
実地調査 2016年 8月
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香取航空隊は、飛行機の操縦や整備を行う練習部隊で、1944年(昭和19)に開隊しました。
1945年(昭和20)に入ると本土空襲が本格化し本土を防衛するための基地となり、関東地区の基地から直接出撃する最初の特攻隊が編成され硫黄島沖に展開したアメリカ軍の艦艇に突入し撃沈させています。以降、訓練を終えた隊員は特攻要員として編成され、南九州における特攻作戦に出撃し壮絶な最期を遂げています。
飛行場と航空隊の施設は現在の匝瑳市と旭市におかれていましたが、その中で格納庫の 1つを銚子市に移し、JR総武本線の銚子駅の駅舎に使われたものの、残念ながら新設工事によって破却されてしまいました・・・
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