大阪陸軍兵器補給廠 祝園分廠 川西軍用線
所在 精華町菱田 ↓ 精華町東畑
収録遺構 (4) 橋梁 1, 軍用地境界標 2, その他 1
実地調査 2008年 3月 |
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祝園分廠は、1939年(昭和14) 3月に爆発事故を起こした大阪陸軍兵器補給廠禁野倉庫に替わる弾薬貯蔵施設として1941年(昭和16) 4月に開設されました。
移転先に祝園が選ばれた理由は、砲弾・爆弾を完成させていた東京第二陸軍造兵廠香里製造所からの輸送ルートの確立と、この周辺に集落が少なかったために、万が一の爆発事故に対して二次被害を最小限に食い止められることにあり現在のJR学研都市線の下狛駅の北方より分岐して祝園分廠にいたる川西軍用線が敷設され、香里製造所で完成した砲弾類が運ばれました。
終戦後、施設はアメリカ軍に接収されましたが後に返還され、軍用線と共に陸上自衛隊の祝園弾薬支処へ移管されましたが軍用線は廃止され現在は軍用線跡の大半が町道となっています。しかし、一部の区間盛土や軍用地境界標などが残存しており見学が可能です。
| 肝心な祝園分廠の遺構は 全く調査出来てません▲
航空写真や文献などでは 遺構が多く残存するとの ことですが・・・ |
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