陸軍函館要塞 要塞司令部 (陸軍津軽要塞 要塞司令部)
所在 函館市谷地頭町 2
収録遺構 (2) 建物 1, 地下施設 1
実地調査 2016年 9月 |
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函館要塞は、函館湾や函館港を防御するために構築された強力な火砲群と、これらに関連する付帯施設の集合体で1898年(明治31)に市内の西端部を連なる13の山々の総称である函館山に 5つの火砲と付属施設の建設が始まり谷地頭に司令部がおかれました。
大正時代に入ると函館周辺の防備から拡大して津軽海峡の防圧に重点をおくことになったため汐首岬と竜飛崎・大間崎にも砲台が新設され、1927年(昭和 2)に函館要塞を包含する形で津軽要塞が発足しますが司令部は他へ移ることなく太平洋戦争の終戦まで存続しました。
現在、跡地は谷地頭団地に変遷しており当時の遺構がわずかに残っています。
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陸軍函館要塞 函館重砲兵連隊 (陸軍津軽要塞 津軽重砲兵連隊)
所在 函館市千代台町
収録遺構 (4) 門柱 1, 建物 1, 軍用地境界標 1, その他 1
実地調査 2016年 9月
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函館重砲兵連隊は、函館要塞の防備を行う砲兵部隊で、1897年(明治30)に開設された前身の函館要塞砲兵大隊からの改編により編成され、千代台に兵営がおかれていました。
昭和に入り要塞の守備範囲が拡大されたことで津軽要塞の重砲兵連隊に改称され終戦まで津軽要塞の防備にあたりました。
現在、兵営の跡地の大半は千代台公園に変遷し整地されていますが、わずかに遺構が残存しています。
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陸軍函館要塞 薬師山砲台
所在 函館市函館山
収録遺構 (8) 砲座 2, 地下施設 3, その他 3
実地調査 2016年 9月
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薬師山砲台は函館要塞の 1つで、1899年(明治32)に函館要塞で最も早く竣工しました。
ここには、15センチ臼砲を 4門据え付け防備につきましたが1916年(大正 5)の要塞整理により廃止されました。
現在、砲台跡は経年劣化が著しい状態ですが、北海道遺産に選定されているため見学路が整備されており砲座や掩蔽部などが見学出来ます。 |
陸軍函館要塞 御殿山第一砲台
所在 函館市函館山
収録遺構 (8) 砲座 1, 地下施設 3, トンネル 2, その他 2
実地調査 2018年 11月
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御殿山第一砲台は函館要塞の 1つであり、津軽海峡方面に対する砲戦砲台として1900年(明治33)に完成しました。
ここには、28センチ榴弾砲が 4門据え付けられのちの日露戦争で防備につきましたが1934年(昭和 9)に装備の旧式化で除籍となりました。
現在、砲台跡には北海道放送やNHKの施設がおかれて破壊されており、基本的に立ち入りが出来ませんが、砲座の一部分や地下施設などが残っています。 |
陸軍函館要塞 御殿山第二砲台
所在 函館市函館山
収録遺構 (18) 砲座 3, 観測所 1, 地下施設 10, トンネル 2, その他 2
実地調査 2016年 9月
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御殿山第二砲台は函館要塞の 1つであり、津軽海峡方面に対する砲戦砲台として1901年(明治34)に完成しました。
ここには28センチ榴弾砲が 6門据え付けられて日露戦争の防備にあたり、その後は津軽要塞に編入されて演習砲台に用途が変更されましたが太平洋戦争の終戦まで存続しました。
戦後、砲台はアメリカ軍により爆破処理されているため状態はよくないですが、函館山一帯が北海道遺産に選定されて整備されており簡単に見学することが可能です。 |
陸軍函館要塞 穴澗照明所
所在 函館市函館山
収録遺構 (4) 地下施設 1, その他 3
実地調査 2016年 9月
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穴澗照明所は函館要塞の付属施設の 1つで夜間砲撃に必要となる探照灯を運用する施設として1901年(明治34)に設置されました。
ここには90センチ探照灯が設置され、照射到達距離は約 6,000メートルにおよんだそうです。
現在、照明所跡は経年劣化が著しい状態ですが探照灯座や格納庫などが残っています。
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陸軍津軽要塞 津軽重砲兵連隊 入江山演習砲台
所在 函館市船見町
収録遺構 (1) 砲座 1
実地調査 2016年 9月 (継続調査中)
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入江山演習砲台は、津軽重砲兵連隊の演習用の砲台として、昭和初期に完成したようです。
ここには、八八式海岸射撃具砲が据え付けられ御殿山第二砲台の西に遠距離観測所がおかれていました。
現在、演習砲台の跡地は山林になっていますが函館山の 1つである入江山の山頂付近に砲座が残っています。
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陸軍函館要塞 千畳敷第一砲台
所在 函館市函館山
収録遺構 (29) 砲座 3, 観測所 4, 地下施設 10, 建物基礎 2, トンネル 1, 軍用地境界標 1, その他 8
実地調査 2016年 9月
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千畳敷山第一砲台は函館要塞の 1つで、函館湾方面を狙う砲戦砲台として1901年(明治34)に竣工しました。
ここには28センチ榴弾砲が 6門据え付けられて日露戦争の防備にあたり、その後は要塞整理で 2門が廃止となりますが、残りは太平洋戦争の終戦まで存続しました。
現在、砲台跡は経年劣化が著しい状態ですが、北海道遺産に選定されているため見学路が整備されており砲座や観測所・掩蔽部などの遺構を見学することが出来ます。
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陸軍函館要塞 千畳敷第二砲台
所在 函館市函館山
収録遺構 (5) 砲座 2, 地下施設 2, その他 1
実地調査 2016年 9月
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千畳敷第二砲台は函館要塞の 1つで、1901年(明治34)に要塞背面を防御する側防砲台として竣工しました。
ここには、15センチ臼砲が 4門据え付けられてのちの日露戦争で防備につきましたが1928年(昭和 3)の要塞整理により除籍となりました。
現在、砲台跡は経年劣化が著しい状態ですが、北海道遺産に選定されているため見学路が整備されており砲座や弾薬庫などが見学出来ます。
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陸軍函館要塞 立待堡塁
所在 函館市函館山
収録遺構 (8) 砲座 2, 地下施設 2, 建物基礎 2, その他 2
実地調査 2016年 9月
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立待堡塁は函館要塞の 1つであり、要塞の背面部分を防御する目的で1902年(明治35)に設置されました。
ここには 9センチカノン砲が 4門据え付けられのちの日露戦争で防備につきましたが1934年(昭和 9)に装備の旧式化で除籍となりました。
現在、函館山は北海道遺産となっているものの立待堡塁は特に保存対策が施されていないため経年の劣化が著しい状態ですが、当時の遺構が残っています。
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陸軍函館要塞 立待照明所
所在 函館市函館山
収録遺構 (2) 地下施設 1, その他 1
実地調査 2016年 9月
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立待照明所は函館要塞の付属施設の 1つで夜間砲撃に必要となる探照灯を運用する施設として1901年(明治34)に設置されました。
ここには90センチ探照灯が設置され、照射到達距離は約 6,000メートルにおよんだそうです。
現在、照明所跡は経年劣化が著しい状態ですが探照灯座や格納庫などが残っています。
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陸軍津軽要塞 津軽重砲兵連隊 立待演習砲台
所在 函館市函館山
収録遺構 (2) 地下施設 1, その他 1
実地調査 2016年 9月
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立待演習砲台は津軽重砲兵連隊の砲撃演習用の砲台として1937年(昭和12)に竣工しました。
ここには15センチカノン砲が 1門据え付けられ終戦まで存続しました。
現在、跡地は立待岬の駐車場に変遷して面影がなくなっていますが、防空壕や砲座といわれる遺構を見ることが出来ます。
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函館陸軍埋葬地
所在 函館市船見町
収録遺構 (1) 墓標様
実地調査 2016年 9月
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函館埋葬地は、函館市内に展開した陸軍部隊に所属していた戦病没者の墓地として明治時代に設置されました。
現在は函館市に移管されており、柵を設置して管理されていますが、墓標様の周りには雑草が生い茂り、状態はあまりよくないようです。
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