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  海軍連合艦隊 司令部

 遺構詳細

 司令部庁舎
 (接収建物)



 【所在】
  港北区日吉 4
  (慶応義塾大学内)

 【分類】
  建物



畝傍:見学出来ないのは残念ですっ▲
現在、この建物周辺は
様々な理由があるため
見学ルートから外され
立ち入り禁止です▲  

まあ、今も学生さんの
寮として使ってるから
仕方がないですがね★







慶應義塾大学の敷地最南端にあります。

建物は、谷口 吉郎さんの設計によって1937年(昭和12)に完成し慶應義塾大学の宿舎に使用されましたが、1944年(昭和19) 9月より連合艦隊の司令部庁舎となりました。

竣工当時は設備が東洋一といわれた宿舎には、高官の寝室や食堂をはじめ、作戦室・事務室が設置されました。なお、展開した時期と戦況を照合するとレイテ沖海戦や硫黄島戦・沖縄戦はここで練られたことになります。

当初、ここに司令長官・幕僚をはじめ士官など約450名がいたそうですが指揮範囲が拡張され終戦時は約1,000名に膨れ上がったそうです。

現在、宿舎は慶応義塾高校の寮に使われており管理されているため立ち入りが出来ません。



 地下司令部



 【所在】
  港北区日吉 4
  (慶應義塾大学内)

 【分類】
  地下壕





見学会は不定期ですが
月に1度の割合で実施
されているようです★

見学出来る範囲は制限
されますが、見どころ
満載ですので、参加を
お奨めしますよ★
 恵麻:見どころ満載ねっ♪





慶應義塾大学の敷地南端部に残存し、慶応義塾高校の校舎に使用されている第1校舎の南東、バレーボールコート付近に入口があります。

地下壕は全面がコンクリート製で、坑道部分は排水溝が設けられているほか電線跡や発電機の台座・通風口跡・地上へと繋がる階段跡などが残存しています。また、司令長官室・電信室・暗号室に使用された部屋状の空間なども残り、中枢施設としての機能がよく解ります。なお、坑道延長は見学ルートだけで約300メートルを測っており、埋め戻されている箇所や非公開の坑道を含めると1,000メートルは軽く超えると推測しています。

現在は坑道の一部分が保存されており、普段は見学することが出来ませんが「日吉台地下壕の保存をすすめる会」主催の地下壕見学会の日に開放され、同会の立ち会いで見学が可能です。



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