遺構詳細 |
中央庁舎 (接収建物)
【所在】 港北区日吉 4 (慶応義塾大学内)
【分類】 建物 |
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東急東横線の日吉駅より、慶應義塾大学日吉キャンパスへと続く並木通りを進んだ右側にあります。
建物は鉄筋コンクリート製で、1934年(昭和 9)年に建設されました。当初は、慶應義塾大学の校舎に使用されていましたが 1944年 (昭和19) 3月に海軍がこれを接収し、校舎の南側を軍令部第三部の庁舎に使用しました。軍令部第三部は、 4つの課で構成されておりそれぞれ分担して、アメリカ・中国・ソ連・イギリスの情報収集にあたっていました。
現在は、一部改装されていますが、慶応義塾高校の校舎に使用されています。
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庁舎 (接収建物)
【所在】 港北区日吉 4 (慶応義塾大学内)
【分類】 建物 |
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中央庁舎として使われた慶応義塾高校の校舎南側にあります。
建物は、慶応義塾大学のキリスト教青年会の教会に使用されていたもので、1937年(昭和 12)年に建設されました。
大学の敷地が海軍に接収されてからは、この建物も軍令部第三部の庁舎の一部として使用されるようになり、敵国のラジオ放送を傍受したり、資料の収集・翻訳が行われました。
現在はYMCAの施設に使われています。 |
退避壕
【所在】 港北区日吉 4 (慶応義塾大学内)
【分類】 地下壕 |
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中央庁舎として使われた慶応義塾高校の校舎西側より陸上競技場方面に坑道が延びており陸上競技場の南東部付近に、一部が残存しています。
この地下壕は、軍令部第三部の退避壕として構築されたもので、全面がコンクリート製の坑道が 2本あったそうで、空襲警報が出ると軍令部関係者が重要書類を持って、この壕に逃げ込んだそうです。
現在、地下壕の入口は埋められていますが、坑道の一部と思われるコンクリートが地表に露出している箇所があるので、地下壕自体は残っているようです。
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地下壕
【所在】 港北区日吉 5
【分類】 地下壕 |
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日吉 5丁目の西側、新幹線のトンネル東側に残存しています。
この地下壕は、軍令部第三部で使用したほか1945年(昭和20)5月の空襲で焼失した海軍航空本部も地下壕の一角を使用していたようです。
現在、地下壕の入口のほとんどが封鎖され、内部の状況を把握出来ていませんが、坑道は全面コンクリート製で、このうちの 1本が、海軍連合艦隊の地下司令部へと繋がっていたようです。(今は新幹線のトンネルによって分断されているようですよ・・・) |
地下壕
【所在】 港北区日吉 5
【分類】 地下壕 |
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日吉 5丁目の西側、新幹線のトンネル東側に残存しています。
この地下壕の詳細な用途は判っていませんが内部は素掘り構造で岐路を持たず、総延長は約15メートルほどで奥は水没しています。
軍令部第三部で使用した地下壕と接続されていないものの隣接しているため関連する壕であると推測しています。
現在は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。 |
関連遺構
【所在】 港北区日吉 5
【分類】 その他 |
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日吉 5丁目の西側、新幹線のトンネル東側に残存しています。
この遺構の詳細は不明ですがコンクリートで造られており中央に穴が開けられているためトイレ関係のものと推測しています。
現在は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。 |