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 岐阜県岐阜市の戦争遺跡一覧 (作成中ですっ) 収録遺構数:10 


岐阜陸軍衛戍病院
 (岐阜陸軍病院)


 所在
  岐阜市野一色 4

 収録遺構 (2)
  門柱 1,
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2016 12





岐阜衛戍病院は、第三師団の所属部隊であった歩兵第六十八連隊が岐阜市内に展開したことで1909年(明治42)に設置されました。

その後は岐阜陸軍病院に改称され、岐阜市内に展開した多くの部隊の付属病院として終戦まで機能しました。

戦後、敷地は岐阜県に移管されて現在は岐阜県総合医療センターとなり、面影がありませんが隣接する市立長森中学校の敷地に門柱と軍用地境界標が移設保存されています。


陸軍第一飛行集団
司令部

 (陸軍第五十一航空師団
  師団司令部)


 所在
  岐阜市
  加納丸之内 ほか

 収録遺構 (6)
  門柱 2,
  軍用地境界塀 1,
  軍用地境界標 2,
  その他 1

 実地調査
  2017 8
  2017年時点の詳細をご紹介します








第一飛行集団は本土の防衛を目的として1938年(昭和13)に東京におかれていた留守航空兵団を基幹に編制され、司令部が岐阜市内に設置されました。

太平洋戦争に突入したのち、第五十一教育飛行師団に改編されて引き続き本土の防衛にあたり最終的には第五十一航空師団に改編されて本土決戦の準備に入ったのちに終戦となりました。

終戦後、司令部はアメリカ軍に接収されて娯楽施設に使われましたが、現在は返還されており陸上自衛隊の施設を経て加納城跡公園に変遷し当時の門柱や、長官官舎の軍用地境界標などが残存しています。


陸軍名古屋憲兵隊
岐阜憲兵分隊

 (陸軍東海憲兵隊司令部
  岐阜地区憲兵隊)


 所在
  岐阜市金園町 8 ほか

 収録遺構 (2)
  地下壕 1,
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2017 8
  2017年時点の詳細をご紹介します





岐阜憲兵分隊は、歩兵第六十八連隊が岐阜市に展開したことで、この前身の岐阜憲兵分遣所が設置されたことにはじまり、1932年(昭和 7)に金園町に新築された庁舎に移りました。

太平洋戦争の末期は、本土決戦に向けた憲兵の組織改編にともなって岐阜地区憲兵隊に改称し終戦まで存続しました。

現在、跡地は金園公園や梅林保育園などに変遷しており、軍用地境界標や地下壕が残ります。


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