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 神奈川県座間市の軍事遺跡一覧 収録遺構数:19 


 高座海軍工廠


 所在
  座間市栗原 ほか

 収録遺構 (3)
  地下壕 3

 実地調査
  2009年 6月
  (継続調査中)
  2009年時点の詳細をご紹介します

  芹沢公園内に残存する
  地下壕は、入口部分が
  封鎖されていますが、
  看板が立てられており
  地下壕の様子も少しは
  把握出来ますよ★

  もちろん、見学可能な
  箇所は他にもあるので
  是非とも探訪してみて
  くださいね★

  な〜んか、海老名にも
  ありそうな感じがして
  なりませんね・・・・
  調べてみようかしら★



これまでに相当な年月を
費やして踏査しましたが
軍用地境界標の 1本すら
残っていませんね・・・

ちなみに、さくら公園に
案内板があります★



高座海軍工廠は、戦闘機の製作を行う目的で、この前身となる工場が1943年(昭和18)2月に相模野海軍航空隊の厚木飛行場に隣接する形で開設(呼称:空C廠)したことに始まり、翌年の改称で「高座海軍工廠」となり、海軍の航空機生産の拠点として機能しました。

ここは、戦闘機「雷電」の製作が中心となり、機械・鋼工・仕上・溶接・縫工の各主工場群と飛行試験用の滑走路・倉庫・工員養成所などを抱える巨大な施設でしたが、製作作業にあたる工員が不足していたため、台湾からの徴用工や女子挺身隊・周辺の女学生を総結集させて生産ラインを確保し、128機を製造しました。

1944年(昭和19)に入ると空襲に備えて工場の分散が計画され、芹沢川や目久尻川沿いの崖下などに、生産維持のための地下壕が掘削され、このうちの一部は、地下工場として実際に機能していますが、年産6,000機の目標に全く手が届かず終戦となりました。

戦後、敷地の大半は民間企業に払い下げられて日産自動車や東芝機械などの工場が建てられ、残った敷地も、さがみ野さくら団地をはじめ、大規模な集合住宅などが建設されているために当時の遺構は完全に消失しており、全く面影が残っていません。また、総延長が10kmもあるといわれる地下壕も事故防止のために埋め戻しや入口が封鎖され、全体像が把握出来なくなってしまっていますが、わずかな部分は現在も見学することが可能です。



 陸軍本科士官学校
 (相武台陸軍士官学校)


 所在
  座間市
  キャンプ座間 ほか

 収録遺構 (16)
  門柱 1,
  建物 2,
  地下壕 1,
  軍用地境界標 10,
  その他 2

 実地調査
  2016年 7月
  (継続調査中)
  
2010年時点の詳細をご紹介します

 
  アメリカ軍施設である
 「座間キャンプ」は、
  施設の開放があるので
  調査予定ですっ★








陸軍本科士官学校は、少尉以上の階級を対象に養成を行う教育機関で、当初は東京の市ヶ谷におかれていた士官学校が、生徒の増加に伴って敷地が手狭になってしまい1936年(昭和11)にこのうちの本科を座間へ移設拡張させることで問題を解決させました。移転先の候補として、当初は東京の八王子や埼玉の所沢・川越なども挙がりましたが、土地の買収費用が安価で済み天皇が卒業式に行幸を行うのに便利という点で最終的に座間が選ばれこの地を昭和天皇により「相武台」と名付けられました。

ここでは、地上兵科(砲・工・歩・騎・戦車)の教育が行われ、これに関する演習は、隣接して設置された演習場を使用し、戦時に対応出来た即戦力となる軍人に育成され、多くの卒業生を出しました。

1945年(昭和20) 7月になると防空対策として卒業を間近に控えた第60期生の300名を除いて長野県へ疎開措置をとって終戦となりました。

現在、学校跡地は自衛隊とアメリカ軍の施設となっており、遺構の一部は活用されていますが普段は立入が出来ず、内部の詳細は確認出来ていません。この他、富士山公園とその周辺にも遺構が残っており、こちらは見学が可能です。(現在も調査を継続中です★)



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