中島飛行機 大宮製作所 吉松地下軍需工場
所在 吉見町 北吉見 ほか
収録遺構 (3) 地下壕 3
実地調査 2007年 3月
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中島飛行機は、1917年(大正 6)に創設された民間の航空機製作会社です。特筆に値する製作戦闘機に「隼」や「疾風」などがあり、戦前の日本を代表する陸軍・海軍御用達の戦闘機製造会社として、「零戦」などの設計で有名な三菱重工業と双璧をなします。
昭和に入ると、近代戦の主力が航空機となり、戦闘機の需要が急激に伸び、群馬県の太田市にかかえていた工場だけでは生産が間に合わず、1943年(昭和18)に海軍専用の戦闘機エンジン工場として、現在のさいたま市に大宮製作所を開設しました。
翌年の1944年(昭和19)11月に入り、戦闘機の製作工場で武蔵野市におかれていた中島飛行機武蔵製作所が本土初の空襲を受けたことにより大宮製作所の生産を維持させるための疎開先に吉見町と東松山市が選ばれ、吉見町に関しては岩粉山・城山・百穴の各地区に地下工場が建設されました。
これらの地下工場の総延長は10キロといわれており、一部は工作機械も搬入されて実際に操業したようですが、具体的な生産実績を出せずに終戦を迎えました。
現在、これらの大半が放置された状態ですが、百穴地区に掘削された地下工場の一部は、整備されており一般公開されています。
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