遺構詳細 |
正門
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 門柱 |
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東芝ライテックの入口に残存しています。
門柱は煉瓦と石で造られており、表面部分にモルタルが施されています。
現在は東芝ライテックの正門として引き続き活用されています。 |
機銃工場
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは1934年(昭和9)に完成した機銃工場で鉄骨鉄筋コンクリート造りの 3階建て構造となっています。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
機銃試射場
【所在】 横須賀市船越町 7
【分類】 地下施設 |
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東芝ライテックの北をはしる市道沿いに残存しています。
これは機銃工場で生産された機銃類の試射を行うための機銃試射場で1936年(昭和11)に完成しました。
現在は、民家の車庫に活用されており良好な状態を保っています。 |
通用門
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 門柱 |
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東芝ライテックの北をはしる市道沿いに残存しています。
門柱は表面にモルタルが施されており、位置関係から通用門であると推測しています。
現在は、引き続き東芝ライテックの通用門に活用されています。 |
材料倉庫
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは敷地内に設置された材料倉庫の 1つで1939年(昭和14)に完成しました。
当初は鉄骨トタン張りの 2階建てでしたが、その後一部を 3階建てに増築しています。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
製図工場
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは1934年(昭和9)に完成した製図工場で鉄骨鉄筋コンクリート造りの 3階建て構造となっています。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
無線工場
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは1934年(昭和9)に完成した無線工場で鉄骨鉄筋コンクリート造りの 3階建て構造となっています。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
軍用地境界塀
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 軍用地境界塀 |
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東芝ライテックの北をはしる市道沿いに残存しています。
塀は鉄筋コンクリートで造られており現在は東芝ライテックの敷地を仕切る塀として活用されています。 |
通用門
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 門柱 |
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東芝ライテックの北をはしる市道沿いに残存しています。
門柱は表面にモルタルが施されていますが、現在は塀の一部となっており、塀の色と同じ塗装が施されています。 |
関連建物
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
この建物の詳細は判っていませんが、周辺に残る当時の建物と造りが似ており、関連する建物である可能性がありそうです。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
物揚場跡
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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東芝ライテックの東をはしる市道沿いに残存しています。
これは、船による資材の搬入・搬出のための物揚場跡でコンクリートで造られています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
庁舎
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは、1913年(大正 2)に完成した造兵部の中央庁舎で鉄筋コンクリート造りの 2階建て構造となっています。
現在は、東芝ライテックの事務所として活用されており、横須賀市の近代化遺産にも指定されています。 |
発電工場
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは1929年(昭和 4)に完成した発電工場で鉄骨鉄筋コンクリート造りの 2階建て構造となっています。
現在は、耐震化工事により一部が改装されていますが、東芝ライテックの工場に引き続き活用されています。 |
発電工場 事務所
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは1929年(昭和 4)に完成した発電工場の事務所で、鉄骨鉄筋コンクリート造りの平屋構造となっています。
現在は、耐震化工事により一部が改装されていますが、東芝ライテックの工場に引き続き活用されています。 |
鍛錬工場 基缶場
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは1913年(大正 2)に完成した鍛錬工場の基缶場で鉄骨トタン張りの平屋構造となっています。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
鍛錬工場 事務所
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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東芝ライテックの敷地内に残存しています。
これは鍛錬工場の事務所で、残存する建物の中では最も古く1886年(明治19)に完成し、煉瓦造りの平屋構造となっています。
建物は、現在も東芝ライテックの工場として引き続き活用されています。 |
水雷工場・音響工場 機雷実験部
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 建物 |
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日立パワーソリューションズの敷地内に残存しています。
写真の左側から機雷実験部・音響工場・水雷工場として使われた建物で鉄骨トタン張りとなっています。
これらは日立パワーソリューションズで活用されています。 |
物揚場跡
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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日立パワーソリューションズの敷地内に残存しています。
これは、船による資材の搬入・搬出のための物揚場跡でコンクリートで造られています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
五トンクレーン部基礎
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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日立パワーソリューションズの敷地内に残存しています。
これは荷揚げ用におかれた 5トンクレーンの基礎部分でコンクリートが使われています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
構内軌道
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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日立パワーソリューションズの敷地へいたる道路沿いに広く残存しています。
これは、荷揚場から造兵部の構内をはしった構内軌道の線路跡で複数箇所のポイント跡も見ることが出来ます。
現在は放置されている状態が続いていますが周辺では当時の建物群の取り壊しが始まっているので消失する可能性があります。 |
軌道転轍機
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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日立パワーソリューションズの敷地へいたる道路沿いに残存しています。
これは構内をはしった軌道の転轍機であり鋼鉄製となっています。
現在は放置されている状態が続いていますが周辺では当時の建物群の取り壊しが始まっているので消失する可能性があります。 |
関連遺構
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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日立パワーソリューションズの敷地へいたる道路沿いに残存しています。
この構造物の詳細は判っていませんが、古いコンクリートで造られており、荷揚場に近い場所に位置しているため、当時の遺構である可能性がありそうです。
現在は放置されている状態が続いていますが周辺では当時の建物群の取り壊しが始まっているので消失する可能性があります。 |
関連遺構
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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日立パワーソリューションズの敷地へいたる道路沿いに残存しています。
この構造物の詳細は判っていませんが、古いコンクリートで造られており、荷揚場に近い場所に位置しているため、当時の遺構である可能性がありそうです。
現在は放置されている状態が続いていますが周辺では当時の建物群の取り壊しが始まっているので消失する可能性があります。 |
砲熕工場 地下倉庫
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 地下施設 |
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横須賀生コンクリートの敷地裏手に位置する低山の山裾部分に残存しています。
この遺構の用途は判っていませんが、入口は煉瓦で造られており、内部は戦争末期に構築された地下工場に接続されています。また、砲熕工場裏手に位置しており、地下式の貯蔵施設として構築された可能性が極めて高いと推測しています。
現在は、入口が封鎖された状態で放置されていますが、周辺で当時の建物群の取り壊しが始まっており消失する可能性が高いです。 |
機械工場 地下倉庫
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 地下施設 |
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日立パワーソリューションズの敷地の裏手に位置する低山の山裾部分に残存しています。
この遺構の用途は判っていませんが、全面が煉瓦で造られており、内部は戦争末期に構築された地下工場に接続されています。また、機械工場裏手に位置しており、地下式の貯蔵施設として構築された可能性が極めて高いと推測しています。
現在は、入口が封鎖された状態で放置されていますが、周辺で当時の建物群の取り壊しが始まっており消失する可能性が高いです。 |
軍用地境界塀
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 軍用地境界塀 |
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東芝ライテックの敷地の南西端にあたる国道16号沿いに残存しています。
塀は鉄筋コンクリートで造られており現在は東芝ライテックの敷地を仕切る塀として活用されています。 |
軍用地境界柵支柱
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 その他 |
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景徳寺の背面に展開している山の頂上付近に残存しています。
支柱はコンクリートで造られており、中央に柵を接続するための金具が残っています。
現在、支柱は放置状態ですが、この周辺での開発は特に無さそうなので、このまま残ると思われます。 |
軍用地境界標
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 軍用地境界標 |
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景徳寺の背面に展開している山の頂上付近に残存しています。
標柱は花崗岩製で、下部が埋まっていますが正面部分に「海軍」の文字を読み取ることが出来ます。また、上部には敷地の境界を示す線が入っています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
軍用地境界標
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 軍用地境界標 |
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景徳寺の背面に展開している山の頂上付近に残存しています。
標柱は花崗岩製で、下部が埋まっていますが正面部分に「海軍」の文字を読み取ることが出来ます。また、上部には敷地の境界を示す線が入っています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
軍用地境界標
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 軍用地境界標 |
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景徳寺の背面に展開している山の頂上付近に残存しています。
標柱は花崗岩製で正面部分に「海軍用地」と刻まれており、上部に敷地の境界を示す線が入っています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
軍用地境界標
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 軍用地境界標 |
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景徳寺の背面に展開している山の頂上付近に残存しています。
標柱は花崗岩製で、下部が埋まっていますが正面部分に「海軍」の文字を読み取ることが出来ます。また、上部には敷地の境界を示す線が入っています。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
地下工場
【所在】 横須賀市船越町 1
【分類】 地下壕
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景徳寺の背面に位置する山の全体にわたって残存しています。
地下壕は素掘りで、階段を有する階層構造となっており、電線を引き込んだ跡や排水溝・工作機械を据え付けたコンクリートの台座やトイレの跡などが残っており、坑道の延長は2,147メートルを計測しました。
現在、ほとんどの入口が封鎖されているため見学は非常に難しいですが、山林自体は放置されているので、坑道はこのまま残るものと思われます。 |
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火工工場 橋梁
【所在】 横須賀市田浦港町
【分類】 その他 |
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JR横須賀線の田浦駅の北東に位置している堀硝子の入口付近に残存しています。
橋梁は鉄筋コンクリート製で、現在は路面の舗装を直して堀硝子の入口として活用されています。 |
火工工場 地下倉庫群
【所在】 横須賀市田浦港町
【分類】 地下施設 |
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JR横須賀線の田浦駅前に展開する山林内に数箇所の入口が残存しています。
この地下壕の用途は判っていませんが入口はコンクリートが捲かれており火工工場の背面部分に位置するため、倉庫として構築された可能性が極めて高いと推測しています。
現在は、入口が封鎖された状態で放置されていますが、このまま残るものと思われます。 |
火工工場 地下壕
【所在】 横須賀市田浦港町
【分類】 地下壕 |
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JR横須賀線の田浦駅前に展開する山林内に残存しています。
この地下壕の詳細は現時点で不明で、入口も埋め戻された状態なので内部の詳細も判っていませんが、火工工場に向け坑道が掘られていることから関連するものと思われます。
現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。 |
火工工場 地下倉庫群
【所在】 横須賀市田浦港町
【分類】 地下施設 |
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JR横須賀線の田浦駅の北東に位置している曙機械の背面の山に複数の入口が残ります。
この地下壕の用途は判っていませんが全面にコンクリートが捲かれており、一部の坑道は戦争の末期に構築された地下工場に繋がっています。また、火工工場の背面にあたるため倉庫として構築された可能性が極めて高いと推測しています。
現在は、曙機械の倉庫として使用されているようです。 |
火工工場 地下壕
【所在】 横須賀市田浦港町
【分類】 地下壕
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JR横須賀線の田浦駅の北東に位置している曙機械の背面の山に残存しています。
地下壕は素掘りで、内部は水槽や電線の跡・機械類の台座などが残存し、一部の坑道には部屋状の空間も有していることから火薬系の危険物を貯蔵するための地下壕であると推測しており、坑道延長は447.5メートルを計測しています。
現在は、入口が封鎖された状態で放置されていますが、このまま残るものと思われます。 |
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火工工場 地下壕
【所在】 横須賀市田浦港町
【分類】 地下壕
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JR横須賀線の田浦駅の東に展開する低山の広範囲にわたって残存しています。
地下壕は素掘りで、内部は電線を引き込んだ跡が残り、坑道の総延長は788.9メートルを計測しています。
現在は、入口が封鎖された状態で放置されていますが、このまま残るものと思われます。 |
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