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  海軍艦政本部 地下壕

 遺構詳細

 地下壕



 【所在】
  港北区
  箕輪町 3周辺

 【分類】
  地下壕







東急東横線の日吉駅の南西、大聖院の裏手にあたる低山一帯に残存しています。

地下壕は、東京の内幸町にあった艦政本部の機能疎開を目的に1945年(昭和20) 1月より工事が開始され、終戦当日の 8月15日に移転予定であったそうです。

内部は、建設資材が不足していたため、連合艦隊の地下壕のようなコンクリート造りとはならず、一部が素掘り構造となっています。また、コンクリート壁の代用として大谷石で補強されている坑道や、トロッコの線路跡・排水溝・集水桝・コンクリート製台座などが残っており、坑道延長は埋め戻し区間を除き1148.5メートルを計測しています。

現在、入口がいくつか残っていますが、封鎖されているものが多く、坑道も埋め戻されている区間があり、内部の見学は非常に難しい状況です。



 水槽



 【所在】
  港北区
  箕輪町 3付近

 【分類】
  その他




東急東横線の日吉駅の南西、大聖院の北側の林の中に残存しています。

水槽はコンクリート製で縦が2.5メートル・横が4メートルほどで、深さが3メートルほどあります。

具体的な用途は解っていませんが、地下壕の掘削に削岩機が使用されていたことが判っているので、これに使用する水を溜める目的で構築されたものであると推測しています。

現在は特に活用されておらず、竹林内に放置されており、転落防止のため水槽上部に竹がたくさん置かれています。



 地下壕



 【所在】
  栄区
  長尾台町 15付近

 【分類】
  地下壕




JR東海道線の大船駅の北西、ドリームランドモノレールの廃線跡付近に残存しています。

地下壕の構築経緯は、現在のところ明確ではありませんが、艦政本部がこの壕を使用する予定であったようです。内部は素掘り構造で入口はいずれも金網で封鎖されているため、内部の詳細は不明ですが、近所にお住まいのご老人の話では、掘削の途中で戦争が終わり放置されてきたそうです。

地下壕の入口は、2005年(平成17)の調査で 3箇所を確認していますが、擁壁工事が開始されていたため、現在はおそらく見ることが出来なくなっているものと思われます。



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