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 栃木県宇都宮市の軍事遺跡一覧 (作成中ですっ★) 収録遺構数:36 


 陸軍第十四師団
 師団司令部


 所在
  宇都宮市
  中戸祭 1 ほか

 収録遺構 (7)
  門柱 1,
  軍用地境界標 5
  門柱(消失) 1

 実地調査
  2021年 11月

  2021年時点の詳細をご紹介します



富貴:色々残っているのねっ★
若草・中戸祭地区は、
陸軍の施設が集中する
場所となります。

遺構も残っているので
探訪をお奨めします★

第十四師団は、日露戦争の開戦によって新設された師団の1つであり、1905年(明治38)に福岡県の小倉で編成され大阪・広島・熊本・善通寺の各歩兵連隊を隷下部隊としました。その後、清国へ出征し第三軍の指揮下に入り遼東半島の警備に就き帰還しますが、国内に帰還しても衛戍場所がなかったため1907年(明治40)に宇都宮を衛戍地に定め、司令部が設置されました。

宇都宮に司令部がおかれたことを皮切りに、師団の隷下部隊となった歩兵第二十八旅団や騎兵第十八連隊・輜重兵第十四大隊・野砲兵第二十連隊・歩兵第五十九連隊が順次移駐し歩兵第六十六連隊・衛戍病院などが新設され軍都となりました。

現在、司令部の跡地は国立栃木病院に変遷し少し離れた師団長の官舎の跡地は宇都宮地方合同庁舎となっており門柱や軍用地境界標を中心とする遺構が残っています。

 陸軍第十四師団
 歩兵第六十六連隊


 所在
  宇都宮市若草 2

 収録遺構 (5)
  建物 1,
  門柱 1,
  その他 3

 実地調査
  2021年 11月

  2021年時点の詳細をご紹介します





歩兵第六十六連隊は、第十四師団に隷属する基幹部隊で1908年(明治41)に軍旗を拝受し師団司令部に隣接して施設がおかれました。

大正時代に入ると、一旦軍縮によって廃止となりましたが1937年(昭和12)に日中戦争の遂行のために再編制され第一一四師団を経て第五十一師団の隷下部隊として中国へ出征し太平洋戦争では南方の作戦に従事するため、ニューギニアへと転進しアメリカ軍と激戦を繰り広げました。

現在、連隊跡地は宇都宮中央女子高校などになっていますが当時の遺構が残っています。

 陸軍第十四師団
 騎兵第十八連隊


 所在
  宇都宮市一の沢 1

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2013年 2月






騎兵第十八連隊は、第十四師団の隷属部隊で市内に師団司令部がおかれたことで1908年(明治41)に移駐しました。

情報に乏しく、沿革が把握出来ていませんが昭和に入ると、騎馬に代わる自動車の発達が急速に進んだことから戦闘斥候を任務とする捜索連隊に改編されています。

現在、連隊跡地は作新学院幼稚園や住宅地に変遷しているため面影がありませんが作新前通り沿いに軍用地境界標が残存しています。

 宇都宮陸軍衛戍病院
 (宇都宮第一陸軍病院)


 所在
  宇都宮市若草 2

 収録遺構 (3)
  軍用地境界標 1,
  その他 1
  その他(消失) 1

 実地調査
  2022年 11月









宇都宮衛戍病院は市内に展開した陸軍部隊の付属病院として1908年(明治41)に開院し、師団司令部の北に施設がおかれていました。

昭和時代に入り、新たに岡本地区にも病院が新設されたことで宇都宮第一陸軍病院に改称されますが、病院の機能は変わらず終戦まで存続しました。

現在は、国立病院機構の栃木医療センターに変遷しており、軍用地境界標や区画のための土塁が敷地の外周に残っています。

2013年(平成25)くらいまでは、東端部分に門柱跡もありましたが消失したようです▲


 陸軍第十四師団
 駒生射撃場


 所在
  宇都宮市若草 2

 収録遺構 (3)
  その他 3

 実地調査
  2018年 7月









駒生射撃場は第十四師団の射撃演習場として明治時代の末期に設置されました。

ここでは主に小銃を用いた射撃訓練が行われ幅が約100メートル 長さが約650メートルに及ぶ区画が 2つ設けられており外側に土塁が設置されていました。

現在、跡地は駒生運動公園や湿地帯になっていますが、土塁や監的が現存しています。

 陸軍宇都宮憲兵隊


 所在
  宇都宮市桜 2 ほか

 収録遺構 (5)
  門柱 1,
  軍用地境界塀 2,
  軍用地境界標 2

 実地調査
  2013年 2月

  2009年時点の詳細をご紹介します





宇都宮憲兵隊は、宇都宮に第十四師団と配下部隊が展開したことで設置されました。

憲兵とは軍事警察官のことで軍の内部情報や情勢などが外部に漏れないように取り締まる役割を持っており、著作物の検閲をはじめ、国民の言動・思想などにも目を光らせていたため、周辺からは恐れられた存在でした。

現在、敷地跡は宇都宮市の中心部に位置しているために雑居ビルや住宅が密集しており、当時の面影は残っていませんが、境界部分に遺構が少し残っています。

 陸軍宇都宮衛戍監獄


 所在
  宇都宮市桜 2 ほか

 収録遺構 (3)
  軍用地境界標 3

 実地調査
  2018年 7月









衛戍監獄は、戦争犯罪などをおこした軍人を収容するための軍事刑務所で、宇都宮市内に第十四師団が展開したことにより宇都宮衛戍監獄がおかれていました。

現在、跡地は宇都宮少年鑑別所や住宅などに変遷して当時の面影はありませんが、軍用地境界標が残存しています。

 陸軍航空廠
 宇都宮支廠

 (宇都宮陸軍航空廠)


 所在
  宇都宮市鐺山町 ほか

 収録遺構 (9)
  建物 1,
  建物基礎 4,
  その他 4

 実地調査
  2022年 11月
  (継続調査中)

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航空廠は、陸軍の航空に関する器材や燃料の購買・貯蔵・補給などを行う目的で1935年(昭和10)に開設されました。

1940年(昭和15)に入ると宇都宮飛行学校が開設されたことで、造修を行うための支廠が滑走路に隣接して設置され、この翌年の組織改正により宇都宮航空廠に改称し、終戦まで存続しました。

現在、跡地は学校や住宅地などになっておりほとんど面影がありませんが、当時の遺構が残っています。

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