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 茨城県つくば市の軍事遺跡一覧 収録遺構数:9 


 霞ヶ浦海軍航空隊
 谷田部分遣隊

 (谷田部海軍航空隊,
  第七二一海軍航空隊)


 所在
  つくば市
  観音台 2 ほか

 収録遺構 (7)
  建物基礎 3,
  軍用地境界塀 1,
  その他 3

 実地調査
  2021年 11月

  2021年時点の詳細をご紹介します






谷田部分遣隊は、航空機の操縦や航空戦術の教育などを行うため、この前身の霞ヶ浦海軍航空隊の補助飛行場を転用して1932年(昭和 7)に開設されました。

1939年(昭和14)に入ると航空隊に昇格して谷田部海軍航空隊となりますが、生徒が増え敷地が手狭となったため1944年(昭和19)に山形県へ移り、施設は第七二一海軍航空隊が引き継ぎ終戦まで機能しました。

現在、跡地は農業環境技術研究所などの研究施設や筑波学園病院などに変遷していますが敷地の北側に遺構が少しだけ残っています。

 陸軍航空士官学校
 西筑波分教所

 (陸軍第一挺進集団
  挺進第五連隊
  西筑波飛行場)


 所在
  つくば市作谷 ほか

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2016年 1月






航空士官学校は少尉以上の階級を対象に航空兵科に対する養成を行う教育機関で、埼玉県入間市に施設がおかれていました。

1940年(昭和15)に入ると、生徒数の増加によって現在のつくば市に飛行場が設置され、その分教所がおかれましたが、1943年(昭和18)以降より落下傘部隊として知られる第一挺進集団の挺進第五連隊の訓練場に使用され終戦まで施設が存続しました。

終戦後、敷地は開拓されて農地となり面影が全くありませんが、敷地の東端部分に軍用地境界標の残存を確認しています。

 土浦海軍航空隊

 所在
  つくば市小白硲

 収録遺構 (1)
  その他 1

 実地調査
  2021年 11月






土浦海軍航空隊は、海軍航空兵の養成制度の
 1つであった予科練への教育を目的に霞ヶ浦海軍航空隊の予科練部を移した形で1940年(昭和15)に開設されました。

ここでは、試験選抜された少年飛行兵に対し航空機の操縦・整備・航空戦術などの教育が行われ、飛行練習生課程を経て太平洋戦争の末期には多くの特攻作戦に従事しています。

跡地は阿見町に位置していますが隊内神社の大鳥居がつくば市の鹿島神社に移されており現存しています。


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