第一海軍航空廠
所在 土浦市右籾 ほか
収録遺構 (50) 門柱 1, 建物 36, 軍用地境界標 8, 地下壕 1, その他 4
実地調査 2021年 10月 (継続調査中)
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第一海軍航空廠は海軍航空機の造修と補給を行うことを目的として、霞ヶ浦海軍航空隊の開設にともなって設置された前身の海軍航空技術廠の出張所を母体に1941年(昭和16)に開設されました。
ここには、航空機の修理や組立に使用された工場や付属建物・倉庫・庁舎などが設置され最盛期には約30,000名もの職員・工員が従事していたようです。
現在は、陸上自衛隊・航空自衛隊の駐屯地や住宅地などに変遷していますが当時の遺構が残っています。
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横須賀海軍警備隊 霞ヶ浦北防空砲台
所在 土浦市烏山 3
収録遺構 (5) 砲座 2, その他 3
実地調査 2016年 4月
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霞ヶ浦北防空砲台は、横須賀軍港を統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ軍港周辺の防衛任務にあたった横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台として第一海軍航空廠や霞ヶ浦海軍航空隊の各施設を防衛する目的で1944年(昭和19)に建設されました。
ここには、12.7センチ連装高角砲が2基据え付けられ、機銃や高角測距儀・探照灯・高射装置なども設置されました。
現在、砲台の跡地は山林となっており草木に埋もれた状態ですが、当時の遺構が残存しています。 |
霞ヶ浦海軍病院
所在 土浦市下高津 2 ほか
収録遺構 (48) 門柱 1, 建物 1, 建物基礎 6, 軍用地境界標 18, その他 22
実地調査 2022年 2月
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霞ヶ浦海軍病院は、霞ヶ浦一帯に海軍施設が設置されたことで、傷病兵を収容するための病院として1941年(昭和16)に開院し、終戦まで機能しました。
終戦後、病院は現在の厚生労働省に移管され霞ヶ浦病院を経て独立行政法人国立病院機構霞ヶ浦医療センターとなっていますが、水道関係の遺構や門柱・軍用地境界標などが多く残っており見学することが可能です。 |
陸軍水戸地区憲兵隊 土浦憲兵分隊
所在 土浦市中央 1
収録遺構 (3) 軍用地境界標 3
実地調査 2021年 10月
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土浦憲兵分隊は、霞ヶ浦一帯に海軍の施設が展開したことで設置されました。
憲兵とは軍の警察で内部の秩序維持や情報・情勢などが外部に漏れないように取り締まる役割などを持っていました。
設置後、複数回にわたって憲兵令が改正され名称が変更されましたが、最終的に水戸地区憲兵隊に隷属した分隊として終戦まで施設が存続しました。
現在、跡地は土浦市立博物館に変遷しており面影がありませんが、敷地外周に設置された軍用地境界標が3本残っています。
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