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 群馬県高崎市の戦争遺跡一覧 収録遺構数:70 


東京陸軍砲兵工廠
岩鼻火薬製造所

 (陸軍造兵廠火工廠
 岩鼻火薬製造所,
 東京第二陸軍造兵廠
 岩鼻製造所)


 所在
  高崎市岩鼻町 ほか

 収録遺構 (63)
  門柱 4,
  建物 23,
  建物基礎 4,
  トンネル 2,
  軍用地境界塀 6,
  軍用地境界標 10,
  その他 14

 実地調査
  2013 2
  2013年時点の詳細をご紹介します







岩鼻火薬製造所は、日本で最初の黒色火薬の製造工場である板橋火薬製造所の生産拡大を目的として1882年(明治15)に開設しました。岩鼻におかれた背景に烏川と井野川が周辺に沿って流れており、当時の輸送手段であった舟運の便がよく、火薬の製造に使う圧磨機の動力元となる水車の設置が出来たことなどが挙がります。

ここでは、黒色火薬や軍用火薬・産業火薬の生産のほかに、日本では最初となる高級爆薬(ダイナマイト)も生産され1923年(大正12)の組織改正で造兵廠火工廠傘下の火薬製造所となりました。

昭和時代に入ると、黒色火薬より威力がある無煙火薬の生産が開始され目黒火薬製造所の機能も吸収したことで軍用火薬の製造比重が高まり、さらなる増産を迫られて敷地が拡張されていき1940年(昭和15)の組織改定により東京第二陸軍造兵廠の火薬製造所として終戦まで存続しました。なお、終戦時点での敷地面積は 325,000坪、従業員数は 3,956人との記録があるようです。

現在、敷地跡地は群馬の森や日本化薬・日本原子力研究所などになっていますが、当時の遺構が数多く残存しており、敷地の外側から見ることが可能です。

熊谷陸軍飛行学校
前橋分教所


 所在
  高崎市棟高町 ほか

 収録遺構 (3)
  建物基礎 3

 実地調査
  2017年 7月
  2017年時点の詳細をご紹介します





熊谷陸軍飛行学校は下士官や少年飛行兵達に対し飛行機の操縦方法や技術などを教育する目的で1935年(昭和10)に熊谷市に開設された教育機関で、戦局に沿って飛行兵を拡充する必要が出てきたため1944年(昭和19)に宇都宮陸軍飛行学校の前橋教育隊からの改編により現在の高崎市に分教所が設置されました。

1945年(昭和20)に入ると太平洋戦争での戦局悪化で分教所は閉鎖され、特別攻撃隊の訓練基地として終戦まで施設が使用されました。

現在、跡地は住宅地や畑地になっていますが当時の建物の基礎部分がわずかに残ります。

高崎陸軍埋葬地
 (高崎陸軍墓地)


 所在
  高崎市若松町

 収録遺構 (4)
  その他 3,
  墓標様

 実地調査
  2017年 7月
  2017年時点の詳細をご紹介します





高崎埋葬地は高崎市内に展開した陸軍部隊の戦没者や戦病没者の方々を埋葬するため明治時代に設置され終戦まで存続しました。

敷地の面積は 951坪といわれており、ここに建立された墓標は 257基を数えるそうです。

現在は竜広寺で管理されており、個人墓標や忠霊碑のほか、日露戦争で捕虜となって収容されていたロシア兵の墓標があります。


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