東京陸軍砲兵工廠 岩鼻火薬製造所 (陸軍造兵廠火工廠 岩鼻火薬製造所, 東京第二陸軍造兵廠 岩鼻製造所)
所在 高崎市岩鼻町 ほか
収録遺構 (63) 門柱 4, 建物 23, 建物基礎 4, トンネル 2, 軍用地境界塀 6, 軍用地境界標 10, その他 14
実地調査 2013年 2月
|
|
岩鼻火薬製造所は、日本で最初の黒色火薬の製造工場である板橋火薬製造所の生産拡大を目的として1882年(明治15)に開設しました。岩鼻におかれた背景に烏川と井野川が周辺に沿って流れており、当時の輸送手段であった舟運の便がよく、火薬の製造に使う圧磨機の動力元となる水車の設置が出来たことなどが挙がります。
ここでは、黒色火薬や軍用火薬・産業火薬の生産のほかに、日本では最初となる高級爆薬(ダイナマイト)も生産され1923年(大正12)の組織改正で造兵廠火工廠傘下の火薬製造所となりました。
昭和時代に入ると、黒色火薬より威力がある無煙火薬の生産が開始され目黒火薬製造所の機能も吸収したことで軍用火薬の製造比重が高まり、さらなる増産を迫られて敷地が拡張されていき1940年(昭和15)の組織改定により東京第二陸軍造兵廠の火薬製造所として終戦まで存続しました。なお、終戦時点での敷地面積は 325,000坪、従業員数は 3,956人との記録があるようです。
現在、敷地跡地は群馬の森や日本化薬・日本原子力研究所などになっていますが、当時の遺構が数多く残存しており、敷地の外側から見ることが可能です。 |