陸軍舞鶴要塞 吉坂堡塁
所在 高浜町今寺 ほか
収録遺構 (45) 門柱 1, 砲座 5, 地下施設 12, 建物基礎 10, 軍用地境界標 4, その他 13
実地調査 2019年 7月 (継続調査中)
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吉坂堡塁は海防に関する要地である舞鶴軍港の防備のために設置された舞鶴要塞の 1つであり高浜湾・内浦湾から上陸し舞鶴に侵攻する敵を迎撃することを目的として 1902年(明治35)に竣工しました。
ここは、本堡塁と付属堡塁で構成されており、本堡塁には 9センチ臼砲が 6門・付属堡塁には12センチカノン砲が 2門据え付けられましたが後に本堡塁も12センチカノン砲 6門に変更され防備につきました。
現在は本堡塁・付属堡塁ともに山林に変遷していますが砲座・弾薬庫・付属施設などが良好な状態で残っています。
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陸軍舞鶴要塞地帯
所在 高浜町六路谷
収録遺構 (1) 軍用地境界標 1
実地調査 2019年 7月 (継続調査中) |
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舞鶴要塞は日本の本土におかれた12箇所の永久要塞のうちの1つです。1895年(明治28)の要塞司令部条例により、永久的な防御工事を施している場所は要塞地帯とされ、軍事機密の保持のため、要塞地帯に指定された区域内での測量や撮影・スケッチ・土木工事などは要塞司令部の許可がないと出来ませんでした。またこれらの防御営造物より250間(約455メートル)以内を特に「要塞地帯第一区」として一般人の立入が禁止され、衛兵が守備していました。さらに、その距離に応じ「第二区」・「第三区(区域)」が設定され、これらの境界を明確にするため要塞地帯標が設置されました。
要塞地帯を定義する法律は数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から 1,000メートル以内を第一区・ 5,000メートル以内を第二区・15,000メートル以内を第三区(区域)と当初よりも大幅に拡大されました。
現在、継続して情報を収集している状況ですが高浜町については要塞第一区に定められていた箇所があり、杉森神社内に移設保存されている要塞地帯標が残存しています。
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