鈴鹿海軍航空隊
所在 鈴鹿市 南玉垣町 ほか
収録遺構 (2) 門柱 1, 歩哨 1
実地調査 2020年 8月 (継続調査中)
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鈴鹿海軍航空隊は偵察飛行兵の養成を目的に1937年(昭和12)に開隊されました。
ここでは、通信偵察飛行の教育や訓練などが行われましたが太平洋戦争の末期は、きたる本土決戦に備えて練習機を使った特攻要員の錬成が行われ終戦を迎えました。
現在、跡地は鈴鹿医療科学大学や公園などに変遷して面影がありませんが門柱と番兵塔が保存されています。
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鈴鹿海軍工廠
所在 鈴鹿市 平野町 ほか
収録遺構 (40) 建物 36, 地下施設 2, その他 2
実地調査 2021年 6月
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鈴鹿海軍工廠は、主に航空機で使う機関銃や弾丸などの製造を目的として、1943年(昭和18)に開設されました。
ここには、機銃の生産を行う機銃部と弾丸を完成させる火工部を中心とした5つの部門がおかれており、約10,000人の職員・工員が作業に従事したそうです。
1945年(昭和20)に入ると空襲に備えて分散疎開が計画され亀山や高山などにも分工場がおかれましたが一部が稼働したのみで終戦を迎えました。
跡地は旭化成・本田技研工業などの工場や、商業施設・住宅地などに変遷しており面影がなくなっていますが、主に火工部で使われた建物や火薬庫が残るほか、機銃の試験発射を実施した山の手発射場の遺構や、敷地外周におかれた官舎・工員宿舎が残っています。
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明野陸軍飛行学校 北伊勢分教所 (明野陸軍教導飛行師団 北伊勢飛行場)
所在 鈴鹿市 三畑町 ほか
収録遺構 (1) 飛行機掩体 1
実地調査 2019年 11月 (継続調査中)
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明野陸軍飛行学校は、戦闘機を使った射撃や戦技に関係する教育・研究などを行う目的で1921年(大正10)に開設され、戦争の拡大で操縦者を大量に養成する必要が出てきたため分教所が1943年(昭和18)に現在の鈴鹿市と亀山市にまたがる形で設置されました。
太平洋戦争の末期は、飛行学校を軍隊化して編制された明野教導飛行師団の拠点となり、特攻の訓練や中継地に施設が使われました。
現在も調査を継続していますが跡地は農地や住宅地などに変遷し飛行機掩体の残存を確認しています。
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亀山陸軍病院
所在 鈴鹿市加佐登 3
収録遺構 (7) 門柱 1, 軍用地境界標 4, その他 2
実地調査 2019年 11月
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亀山陸軍病院は現在の鈴鹿市と亀山市に展開していた陸軍部隊の負傷兵を収容するために1943年(昭和18)に設置され、終戦まで存続しました。
現在、跡地は鈴鹿病院や三重県立杉の子特別支援学校に変遷しており面影がありませんが門柱や軍用地境界標などが残っています。
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