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 東京都杉並区の戦争遺跡一覧 収録遺構数:12 


陸軍鉄道大隊
演習線


 所在
  杉並区高円寺北 1
     ↓
  杉並区天沼 1

 収録遺構 (9)
  軍用地境界標 9

 実地調査
  2011 10
  2011年時点の詳細をご紹介します






鉄道大隊は、日清戦争で問題となった物資類の輸送を、馬から鉄道に移行することで飛躍的に向上させることを目的として1896(明治29)の軍政改変で市ヶ谷の陸軍士官学校内に創設されました。開設当初は鉄道 2中隊と電信 1中隊・材料廠で構成され、この翌年には中野に兵営が新設されました。その後に起きた義和団事変日露戦争では、鉄道の修復や砲弾の輸送などを行って大きな実績を出し、鉄道隊が戦地で必要不可欠であることが認められ、近衛師団に隷属する交通兵旅団傘下となり、それまでの 1大隊から 3大隊に拡張し鉄道連隊に昇格しましたが敷地が手狭になったことから千葉県の習志野へ兵営を移転させました。

当時の中野周辺の地図を見ると、兵営があった現在の中野区役所一帯から日大第二高校へ至る区間の細長い土地が陸軍用地として確保されていることが解り、ここを使用して鉄道の敷設や運用などの演習を行っていたようです。

現在、演習線の跡地は住宅が密集しているためほとんど当時の面影が残っていませんが、一部区間に軍用地境界標が残存しています。


陸軍気象部

 (陸軍中央気象部)


 所在
  杉並区高円寺北 4

 収録遺構 (3)
  軍用地境界標 3

 実地調査
  2007 12
  2007年時点の詳細をご紹介します







気象部は、「陸軍気象部令」の勅令によって、1938(昭和13)に、陸軍砲工学校の気象部より独立して開設された陸軍機関で、気象に関する分析・研究や、気象用機材の研究・気象勤務に関連する教育などが行われ、施設が馬橋地区におかれました。

1941(昭和16)には「中央気象部」と改称され終戦まで機能が存続しましたが、終戦と同時に解体され、気象庁の中央気象台研究部が機能を引き継ぐ形となりました。

現在は、中央気象台研究部が筑波に移っており跡地は馬橋公園となって整地されていますが、敷地の北端を示す軍用地境界標が現在も残っています。

ちなみに、「かんれー じぇんしぇん」などの
フレーズで有名な気象解説者の福井敏雄さんはこの気象部に属していた時期があるそうです★もう、福井さんを知らない世代が多いかな??
安芸:気象記念日なんてあるんだ・・・ちなみに 6 1日は
気象記念日です★

また、馬橋公園内に
気象部の記載がある
石碑がありますよ★

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