陸軍下関要塞 司令部
所在 下関市山の口町
収録遺構 (2) 門柱 1, 軍用地境界標 1
実地調査 2022年 12月 |
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下関要塞は関門海峡・周防灘一帯の沿岸防備を目的として構築された強力な火砲群と、これに付帯する施設群の集合体です。これらは、下関地区と北九州地区にそれぞれ配備され連携して敵艦船を撃滅させるための強力な火力網を形成しており、これらを掌る司令部が1895年(明治28)に設置されました。
戦後、跡地は開発されて税務署になりましたがその後に移転しており現在は大型マンションが建てられ面影がありませんが、敷地の北西端を示す軍用地境界標が残るほか、山口県下関総合庁舎の北側の広場に門柱が移設保存されており案内板が立てられています。
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陸軍下関要塞 火之山第一砲台
所在 下関市みもすそ川町
収録遺構 (6) 軍用地境界標 6
実地調査 2017年 2月
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火之山第一砲台は下関要塞の 1つで、1892年(明治25)に竣工し 28センチ榴弾砲が 4門据え付けられました。
現在、跡地は火の山公園に変遷して整地され、砲座周辺にロープウェーの駅を建設したために遺構は消滅していますが、砲台の外周部分には防御営造物境界標と考えられる標柱がいくつか残っており、遊歩道沿いから見学可能です。 |
陸軍下関要塞 火之山第二砲台
所在 下関市みもすそ川町
収録遺構 (7) 砲座 1, 観測所 1, 地下施設 2, その他 3
実地調査 2017年 2月
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火之山第二砲台は下関要塞の 1つで関門海峡の東にあたる早鞆瀬戸方面の防備のため1891年(明治24)に竣工しました。
ここには 28センチ榴弾砲が 4門据え付けられ首線は南東76度で射界は 270度ありました。
現在、跡地は火の山公園に変遷して整地され、当時の遺構の大半は消失していますが、砲座の一部や観測所・地下施設が残っています。 |
陸軍下関要塞 火之山第三砲台
所在 下関市みもすそ川町
収録遺構 (6) 地下施設 3, その他 3
実地調査 2017年 2月
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火之山第三砲台は下関要塞の 1つで関門海峡の東にあたる早鞆瀬戸方面の防備のため1893年(明治26)に竣工しました。
ここには24センチカノン砲が 8門据え付けられ首線は南東40度で射界は 120度ありました。
現在、跡地は火の山公園に変遷して整地され、当時の遺構の大半は消失していますが、砲座の一部や地下施設が残っています。 |
陸軍下関要塞 火之山第四堡塁砲台
所在 下関市みもすそ川町
収録遺構 (19) 砲座 1, 観測所 1, 地下施設 11, トンネル 2, その他 4
実地調査 2017年 2月
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火之山第四堡塁砲台は下関要塞の 1つで、早鞆瀬戸・周防灘方面と内陸の防備を目的に、海と陸の両方に対して砲撃が可能な堡塁砲台として1891年(明治24)に竣工しました。
ここには 28センチ榴弾砲が 2門据え付けられ首線は南東で射界は 270度ありました。
現在、跡地は火の山公園に変遷して整地されていますが、砲座や観測所・地下施設などが多く残っており、簡単に見学することが出来ます。特に、観測所の下に展開する 7連の地下施設は見ごたえがあります★ |
陸軍高射第四師団 高射砲兵第一三三連隊 火の山高射砲台
所在 下関市みもすそ川町
収録遺構 (2) 砲座 1, その他 1
実地調査 2017年 2月
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火の山高射砲台は関門海峡の防空を目的として1944年(昭和19)に設置されました。
ここには、火之山第四堡塁砲台の施設群に手を加えつつ10センチ高射砲が 6門据え付けられ、高射第四師団の隷下にあたる高射砲兵第一三三連隊が防備を担当しました。
現在、高射砲台の跡地は火の山公園に変遷して整地されていますが遺構がわずかに残っておりこのうち砲座は保存されています。 |
陸軍下関要塞 戦場ヶ野堡塁
所在 下関市後田町 5
収録遺構 (13) 軍用地境界標 6, その他 7
実地調査 2022年 12月
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戦場ヶ野堡塁は下関要塞の 1つで下関の背面を防御することを目的として1892年(明治25)に竣工しました。
ここには12センチカノン砲を 8門と15センチ臼砲を 4門据え付け防備につきますが1920年(大正 9)の要塞整理要領に基づいて廃止となり除籍されました。
現在は戦場ヶ原公園として整地されているため当時の遺構の大半は消失していますが、敷地の外周部分に遺構が少し残ります。 |
陸軍下関要塞 一里山堡塁
所在 下関市椋野町 1
収録遺構 (3) 軍用地境界標 2, その他 1
実地調査 2022年 12月 (継続調査中) |
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一里山堡塁は下関要塞の 1つで火の山砲台群の側防と下関の背面を防御することを目的として1897年(明治30)に竣工しました。
ここには12センチカノン砲が 4門と15センチ臼砲が 4門・機関砲が 4門据え付けられますが1935年(昭和10)に除籍されました。
現在、跡地は一里山公園として整地されており当時の遺構の大半は消失していますが、敷地の外周に排水溝や防御営造物境界標が残ります。 |
陸軍下関要塞守備隊 吉見洞窟砲台
所在 下関市吉見上
収録遺構 (1) 地下壕 1
実地調査 2022年 12月 |
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吉見洞窟砲台は、きたる本土決戦に備えて下関周辺の防備を担当した下関要塞守備隊の洞窟式砲台で、当初は豊北町の杖坂山に設置する予定でしたが地形不良で工事が困難となったことでこの地へ変更され、1945年(昭和20) 6月より工事が開始されました。
ここには、角島におかれた15センチカノン砲の 2門を移す計画でしたが、完成を見ずに終戦を迎えました。
現在、跡地は山林に変遷し崩落が著しいですが砲室が 1つだけ残っています。 |