平塚海軍火薬本廠 船岡支廠 (船岡第一海軍火薬廠)
所在 柴田町 船岡南 2 ほか
収録遺構 (21) 門柱 2, 地下施設 1, 軍用地境界塀 1, 軍用地境界標 14, その他 3
実地調査 2016年 10月
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火薬廠は、兵器に使用するための爆薬・火薬を製造していた海軍の工場で神奈川県の平塚市に本廠がおかれていました。
第一次世界大戦を機に航空機が発達し、これに使用する機銃火薬や、爆弾用爆薬の拡充要請をうけたことで1939年(昭和14)に火薬廠の支廠が船岡に設置されました。
1941年(昭和16)に入ると組織が改正されて船岡支廠は第一火薬廠として独立し、太平洋戦争の終戦までに10,000人以上の工員が製造に従事し総量が約30,000トンの火薬や爆薬が製造され、その規模は東洋で最大級をほこったそうです。
戦後、これらの広大な敷地は、仙台大学や陸上自衛隊船岡駐屯地などに変遷しており、軍用地境界標を中心とする遺構が多く残っています。
| しばたの郷土館内や、 山崎山公園内に遺構が 多く残っており簡単に 見学が出来ますよっ★
東北本線の船岡駅から 歩ける距離ですので、 見学をお奨めします♪ |
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