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 神奈川県高座郡寒川町の軍事遺跡一覧 収録遺構数:10 


 相模海軍工廠


 所在
  寒川町
  一之宮 6 ほか

 収録遺構 (9)
  建物 7
  地下壕(消失) 1,
  建物(消失) 1


  実地調査
  2021年 9月















相模海軍工廠は平塚の第二海軍火薬廠の一角におかれていた海軍技術研究所化学部が、化学兵器の研究を行うことを目的として、昭和産業一之宮工場の跡地を買収し1942年(昭和17)に施設を設置したことからはじまり、翌年に入りこれらを生産する目的で、「相模海軍工廠」と改称されて独立し、焼夷兵器や発煙兵器などの生産が開始されました。

1944年(昭和19)に化学兵器の生産が本格化し「特薬兵器」と呼ばれるタダレ剤やナミダ剤を装填した毒ガス弾の製造が中心となりました。

戦争末期には、毒ガス弾の製造に加えて、本土決戦体制の一環で、手投げ火炎瓶や防空気球・防空凧の製造も開始され、一方で空襲に備えて周辺の山に地下壕を構築して毒ガス弾の生産や貯蔵に使用し、長野県や福島県にも工廠の分散疎開が行われ、生産機能の維持を図りました。

戦後、工廠敷地は民間企業に払い下げられて、旭ファイバーや三光化学などの工業地帯となり当時の遺構がわずかに残ります。また、工場に使用した地下壕は完全に埋没してしまい現在は数箇所の入口跡が判るのみとなっています。



 相模鉄道
 四之宮貨物線


 所在
  寒川町一之宮 2
     ↓
  寒川町一之宮 6

 収録遺構 (1)
  その他 1

  実地調査
  2021年 9月






一時期は相模海軍工廠
深く関わった路線なので
軍事遺跡に含めました★

路線のほとんどの区間が
遊歩道になってますから
是非探訪してください★

直美:工場の排気臭が鼻につくけど・・・


四之宮線は、当時は盛んであった相模川の砂利採取にともなう貨物線で、1922年(大正11)に開業しました。のち、沿線に昭和産業の工場が稼動したことにより、旅客営業も開始し工員の輸送を担うことになりました。

1940年(昭和15)に入ると昭和産業が衰退してやがて工場が廃止されると、その跡地を使って相模海軍工廠が開設されます。これと同時に、四之宮線は製造品の運搬や工員の輸送のための軍用線としても使われるようになり、終戦まで機能しました。

戦後は国鉄が引き継ぎ一部区間は周辺の工場に勤める人の通勤路線として活用されましたが、利用客の減少により廃止され、現在は遊歩道になっています。なお、一之宮公園内には線路の一部が残されており保存されています。


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