陸軍第四師団 騎兵第四連隊 (陸軍第四師団 捜索第四連隊)
所在 北区長曽根町
収録遺構 (1) 建物 1
実地調査 2016年 3月
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騎兵第四連隊は第四師団に隷属する部隊として1889年(明治22)に編制され、大阪に兵営が設置されましたが、敷地が手狭となったため1932年(昭和 7)に新しい兵舎が竣工したことで現在の堺市に転営しました。
その後、第四師団とともに満州へ駐屯して日中戦争に参戦して帰還しますが、太平洋戦争でもフィリピン方面へ出征したのち捜索第四連隊に改編されスマトラ島の警備やタイ方面の作戦に参加して終戦となりました。
現在、跡地は近畿管区警察学校に変遷しておりかつては建物が多く残存していたようですが、わずかに 1棟が現存するのみとなっています。 |
陸軍第四師団 輜重兵第四大隊 (陸軍第四師団 輜重兵第四連隊)
所在 北区長曽根町
収録遺構 (12) 門柱 1, 建物基礎 2, 軍用地境界塀 3, その他 3 門柱(消失) 2, 建物基礎(消失) 1
実地調査 2016年 3月
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初回の探訪で、突然の 豪雨にみまわれたため 踏査を断念し 8年後に 再訪しましたが、実に 多くの遺構がその間に 消失したようです・・ | |
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輜重兵第四大隊は第四師団に隷属する部隊で、1888年(明治21)に大阪市内で編制され、1934年(昭和 9)に新しい兵舎が竣工したことで現在の堺市に転営しました。
その後、大隊から連隊に昇格し満州へ駐屯して日中戦争に参戦して帰還しますが太平洋戦争で第四師団とともに出征し、スマトラ島の警備やビルマ方面を担当する第十五軍の隷下に入ってタイへ転進し終戦となりました。
終戦後、跡地はアメリカ軍に接収されましたが現在は返還されており、国立病院機構近畿中央胸部疾患センターに変遷していますが、当時の遺構がいくつか残っています。 |
陸軍第四師団 金岡演習場
所在 北区長曽根町
収録遺構 (1) 建物 1
実地調査 2016年 3月
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金岡演習場は、第四師団に所属する部隊の兵科演習場として騎兵第四連隊や輜重兵第四大隊の転営に合わせ設置されました。
終戦後、跡地はアメリカ軍に接収されましたが現在は返還されており、ほとんどが金岡公園に変遷しているため整地されていますが、当時の遺構とおぼしき建物が現在も残っています。 |
陸軍高射第三師団 独立高射砲兵第十三大隊 大泉池高射砲台
所在 北区中村町 ほか
収録遺構 (3) 建物基礎 3
実地調査 2015年 5月
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独立高射砲兵第十三大隊は主に阪神地区の防衛任務についた高射第三師団に隷属する部隊で、大阪南部の防衛任務にあたりました。
大泉池高射砲台は、独立高射砲兵第十三大隊が守備する防空砲台で、大阪周辺の防衛を目的に設置され大泉池周辺の 3箇所にわたり 7センチ高射砲と 8センチ高射砲が据え付けられ防備についていたようです。
現在、跡地は大泉緑地公園や住宅地・畑などに変遷して面影がない状態ですが、当時の建物の跡と考えられる遺構がわずかに残っています。 |
陸軍高射第三師団 高射砲兵第一二一連隊 堺照空陣地
所在 堺区北波止町
収録遺構 (5) 建物 1, その他 4
実地調査 2016年 3月
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高射砲兵第一二一連隊は、主に阪神地区の防衛任務についた高射第三師団に隷属する部隊で、1944年(昭和19)に編成されました。
同隊の守備範囲は大阪と神戸の一部地域とし、この中で堺市の大浜地区には傘下の照空分隊が展開し、聴音機や防空用のサーチライトなどがおかれていたようです。
現在、跡地は大浜北公園に変遷していますが、当時のものと考えられる遺構が残っています。 |