日立航空機 千葉工場 大網地下軍需工場
所在 大網白里市大網
収録遺構 (4) 地下壕 3, トンネル 1
実地調査 2006年 3月
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日立航空機は、航空機エンジンを製作していた前身の東京瓦斯電気工業を引き継ぐ形で1939年(昭和14)に設立された民間の航空機製作会社で戦闘機の機体とエンジンの製造を行っており、約2,000機の航空機と約14,000基のエンジンを実際に製造し、大森・羽田・立川・千葉に製造工場を抱え、航空機のエンジン部門では当時の総生産の約10パーセントを占めており、中島・三菱・川崎に次ぐ航空機メーカーでした。
このうち千葉工場は、海軍で使用する航空機の機体とエンジンの製造を行う工場として1942年(昭和17)に操業を開始しました。なお、建設に際し、千葉の臨海地区を埋め立てました。また最盛期には12,000人もの工員がここに従事して「零式戦闘練習機」の製作が行われました。
1944年(昭和19)に入ると戦局が逼迫し、空襲が危惧されたため、硬い地層がはしる大網に分散疎開が計画され、大林組を中心にして覆土式の工場や地下工場の建設が始まり、完成部分から操業を開始しましたが計画の約40パーセントが進捗した時点で終戦となりました。
戦後の調査により47棟の覆土工場と約 3キロの総延長を持つ地下工場・ 6本の通行トンネル・関連施設などの存在が明らかになりましたが、現在は「きららの国」と呼ばれる住宅地となり通行トンネルと地下工場のわずかな部分のみが残っています。 |
陸軍第一四七師団 抵抗拠点陣地
所在 大網白里市永田
収録遺構 (10) 地下壕 10
実地調査 2016年 2月 (継続調査中)
陣地の見学は重装備で 臨んでくださいねっ★
調べられている陣地は 10箇所に及んでますが 他にも掘削されている 可能性が高いですね★ 個人的に茂原の本納も 怪しいと感じてますが 背景を考察すると仮に 存在していても規模は 小さいでしょうね・・
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この周辺で洞窟陣地の 情報をお持ちの方は、 ご教示頂けると非常に 助かります (-人-)★
皆様からの有力情報を お待ちしております♪ | | |
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第一四七師団は、1945年(昭和20) 2月に旭川で編成されて開設された特設師団で、第一総軍の第十二方面軍に所属していた第五十二軍の隷下部隊となり、師団基幹には歩兵第四二五連隊〜歩兵第四二八連隊の 4個部隊がありました。
日本の敗戦をほぼ決定的にした1944年(昭和19) 6月のマリアナ沖海戦の敗退で、アメリカ軍は「コロネット作戦」と呼ばれる、日本本土への上陸作戦を計画します。その作戦の内容とは、九十九里浜と神奈川県の相模湾より上陸して、首都圏の拠点を制圧しながら帝都に攻め入るというもので、九十九里浜には約 240,000人ものアメリカ軍が上陸を予定していました。一方、日本軍は「本土決戦作戦」を計画し、両海岸の防備にあたりました。この中で第五十二軍は、九十九里浜の防備を担当することになり隷下の第一四七師団は、大網白里市より勝浦市に至る地域の防衛にあたりました。なお、防衛方針は海岸後方の山に抵抗拠点となる陣地を展開させ上陸兵に対して狙撃・砲撃を行うというもので師団の司令部は市原市の鶴舞におかれました。
これらは本土決戦となる前に終戦を迎えたため実際には使用されませんでしたが、現在も洞窟陣地が山林内に残存しており見学が可能です。ただし、岩盤が非常に悪く水没区間もあるため細心の注意が必要です。
| | 編集中に思い出しましたが 大網地下工場周辺の低山も 陣地が掘削されたとの話を 聞いた記憶があります・・ 今、思い出したって山ごと 開発で消失しているので、 どうにもなりませんが・・ |
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