日立航空機 立川発動機工場 中藤地下軍需工場
所在 武蔵村山市 中藤 2 ほか
収録遺構 (5) トンネル 5
実地調査 2005年 10月
話が脱線しますが、この 周辺は湧水が多いようで 近くに住む方々が湧水を 汲みによく来ています♪ |
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日立航空機は、航空機エンジンを製作していた前身の東京瓦斯電気工業を引き継ぐ形で1939年 (昭和14)に設立された民間の航空機製作会社で戦闘機の機体とエンジンの製造を行っており、約 2,000機の航空機と約14,000基のエンジンを実際に製造し、大森・羽田・立川・千葉に製造工場を抱え、航空機エンジン部門では総生産の約10%を占めており、中島・三菱・川崎に次ぐ航空機メーカーでした。
このうち立川工場は、エンジンの製造を専門に取り扱う工場として1937年(昭和12)に開設され東京瓦斯電気工業時代から稼動していました。最盛期には14,000人もの工員がここに従事し、月産 350基ものエンジンを製造する日立航空機最大のエンジン工場となりました。
1945年(昭和20)に入ると、本土空襲が本格化し立川工場の周辺には立川航空機や陸軍航空廠・昭和飛行機などの軍需工場が集中していたため爆撃のターゲットにされ、空襲を受けてしまい立川工場は約50%が壊滅しました。これを受け生産ラインの分散疎開計画に基づき、羽村から山口貯水池へ繋がる導水路のトンネルを利用し工場の一部を疎開させ、エンジンの製造を継続させました。
現在、これらのトンネルのほとんどが自転車の通行用トンネルに活用されています。
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