陸軍第八師団 工兵第八大隊 (陸軍第八師団 工兵第八連隊)
所在 盛岡市青山 1
収録遺構 (2) 門柱 1, その他 1
実地調査 2020年 10月
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工兵第八大隊は第八師団に隷属する支援部隊で1908年(明治41)に盛岡市内へ転営しました。
その後、朝鮮駐留を経てシベリア出兵に従事し昭和時代に入ると連隊に昇格したのちに満州へ移駐し大陸戦線に参加しますが、太平洋戦争の末期はフィリピン方面の作戦に従事し、終戦を迎えたようです。
現在、跡地は国立病院機構盛岡医療センターに変遷していますが、門柱をはじめとする遺構がわずかに残っており保存されています。
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陸軍第八師団 騎兵第二十三連隊
所在 盛岡市青山 2
収録遺構 (3) 門柱 2, 軍用地境界標 1
実地調査 2020年 10月
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騎兵第二十三連隊は第八師団に隷属する部隊で1909年(明治42)に編成され、盛岡市内に新設された兵営に入りました。
1935年(昭和10)に入ると満州に移り、以降はノモンハン事件をはじめ、ソ連の侵攻に備えて動員され歩兵連隊への改編まで存続しました。その後、1934年(昭和14)に予備役将校の養成機関として仙台におかれていた予備士官学校がこの地に移り盛岡予備士官学校となりますが、1941年(昭和16)に群馬県の相馬原へ再び移り前橋予備士官学校に改められました。
現在、これらの跡地は森永乳業の工場や県営の体育館などに変遷しており面影がありませんが遺構がわずかに残っています。
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陸軍第八師団 観武ケ原演習場
所在 盛岡市 月が丘 ほか
収録遺構 (1) 軍用地境界標 1
実地調査 2020年 10月
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観武ケ原演習場は、現在の盛岡市内に工兵隊や騎兵隊が展開したことで明治末期に設置され、終戦まで敷地が存続していたようです。
跡地は盛岡少年院や住宅地などに変遷しており面影がなくなっていますが、敷地の北限を示す軍用地境界標を1本だけ確認出来ています。
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