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 千葉県茂原市の軍事遺跡一覧 収録遺構数:19 


 第二五二海軍航空隊
 (茂原海軍航空基地)


 所在
  茂原市東郷 ほか

 収録遺構 (18)
  飛行機掩体 11,
  地下壕 6,
  その他 1

 実地調査
  2016年 2月

  
2016年時点の詳細をご紹介します
 和泉:茂原市さん♪いつでも駆けつけるよっ★
  茂原市は、同航空隊の
  遺構保存に積極的で、
  掩体に案内板を設けて
  見学しやすくするなど
  様々な取り組み姿勢が
  評価出来ます。また、
  このような自治体には
  微力ですが、全面的な
  協力をしたいですね★









第二五二海軍航空隊は、日中戦争の泥沼化や、日本とアメリカとの関係悪化に伴って、1941年(昭和16)の 7月に出された「国土防衛作戦計画要綱」に沿って開設されました。

飛行場の建設工事は軍の施設部が中心となり、1,000メートルの滑走路1本・1,200メートルの滑走路2本が完成しました。

1945年(昭和20)に入ると空襲が本格化したため本土を防衛するための基地となり戦闘機が多数配備され、爆撃のために飛来するアメリカ軍と東京湾上空で激しい交戦を行いました。また、特攻隊も編成されて南九州へ出撃しています。

現在、航空隊跡地は三井東圧化学を中心とした工業団地や住宅などになっていますが、飛行機掩体を中心とした当時の遺構が数多く現存しています。


飛行機掩体は、20基ほど
構築されたようですが、
11基が現存しています★

なお、茂原市は全国一の
有蓋掩体が残る自治体と
なっています♪
凛佳:さすがです〜★


 第二五二海軍航空隊
 茂原軍用線


 所在
  茂原市腰当 ほか

 収録遺構 (1)
  橋梁 1

 実地調査
  2006年 3月






茂原軍用線は、航空隊で使用する兵器や弾薬・資材などを外房線経由で搬入するための目的で敷設され、軍用線の完成時期は航空隊の開設と同じタイミングであると推測しています。

戦後は、航空隊の跡地に三井東圧化学の工場が建設されたことで軍用線も転用されましたが、現在は廃止されており、大半が道路や遊歩道となっているため痕跡を探すことは困難となっています。

軍用線の遺構として、阿久川に架けられていた橋梁の土台部分がわずかに確認出来ます。

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