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 東京都三鷹市の軍事遺跡一覧 収録遺構数:11 


 陸軍第十七飛行師団
 調布飛行場


 所在
  三鷹市大沢 5 ほか

 収録遺構 (6)
  門柱 1,
  飛行機掩体 2,
  地下壕 1,
  その他 1
  建物基礎(消失) 1

 実地調査
  2015年 5月

  2015年時点の詳細をご紹介します
せりな:調布飛行場は広大ですねっ♪
調布飛行場の敷地は
三鷹・府中調布
 3市に跨ってます★







調布飛行場は、現在の東京都が公共に使用する
目的で、1941年(昭和16)に開設されましたが、
太平洋戦争の開戦にともない陸軍が接収し首都
防衛の拠点として使用され、第十七飛行師団が
その任務に就きました。

1944年(昭和19)に入り戦局が逼迫し、爆撃の
ために周辺上空を飛来するアメリカ軍戦闘機を
撃退するために出動して戦果を出しましたが、
最終的に特攻作戦の支援を担当することになり
部隊は鹿児島の知覧に移動しました。

戦後、飛行場はアメリカ軍に接収されましたが
現在は日本に返還されて都が運営する飛行場に
活用しています。また、この周辺の敷地も東京
スタジアムが建設され、当時の遺構はほとんど
消失しているようですが、飛行場の東にあたる
区域に少し残っています。



安芸:いたずらしたの、誰だっ?
門柱には「東京調布
飛行場」と刻まれた
門札が付いてますが
よく見ると線が書き
足されて「東東調布
飛行場」といたずら
されています・・

 陸軍高射第一師団
 高射砲兵第一一二連隊
 大沢高射砲台


 所在
  三鷹市大沢 3

 収録遺構 (4)
  砲座 4

 実地調査
  2015年 5月





砲座の他、調布戦友会で
建立された石碑があり、
同会主催で、毎年 2回の
慰霊祭も行われており、
園児や父兄の方々が集う
そうです。私も是非参加
しようと思ってます♪
直美:みんなで参加しようっ★


大沢高射砲台は、調布飛行場を防衛することを
目的に1943年(昭和18)に設置されました。

ここには 6門の高射砲がおかれ、調布飛行場を
中心とした首都の防衛任務に就いていました。

1945年(昭和20)2月17日にアメリカ軍艦載機が
上空を飛来してきたため、応戦したようですが
機銃掃射により 4名の隊員が亡くなりました。

現在、砲台跡地は椎の実保育園となっており、
 4つの砲座が園内に残っています。これらは、
椎の実保育園へ事前に申請をすると、見学する
ことが出来ます。

畝傍:有休をとりますかっ★ 砲座の見学は、園内に
職員さんが在籍する日
限定なので、土・日と
祝日は基本的に不可と
なっています★

詳細は椎の実保育園に
шm認してください★


 中島飛行機
 三鷹研究所


 所在
  三鷹市大沢 3

 収録遺構 (1)
  建物 1

 実地調査
  2005年 6月
  (継続調査中)

祐実:時間がある方は見てください♪
 ICU の構内には、他に
 中島飛行機を創設した
 中島知久平氏の別荘が
 移設保存されてます★




本館下に残る地下壕は
資料によると素掘りで
それなりの坑道延長が
あるようですね・・・

 ICUに中島の研究会が
あるみたいだから確認
してみようかな・・・
 安芸:久々の地下壕調査?


中島飛行機は、1917年(大正 6)に創設された、
民間の航空機製作会社で、陸軍・海軍御用達の
戦闘機製造会社として、エンジンや機体などの
開発を独自で行える能力を持ち、三菱重工業や
川崎航空機と共に、戦前の日本を代表します。

三鷹研究所は、機体やエンジンの開発や研究を
行う施設として1941年(昭和16)に建設が開始
されますが、資材不足により捗らず 2年以上の
歳月をかけて完成しました。

ここでは、巨大爆撃機「富嶽」やアメリカ軍のB-29に対抗する超高度戦闘機の設計が行われ、
試験飛行まで漕ぎつけましたが量産には至らず
最終的に特攻機「」の設計が行われました。
これを基に、太田製作所などで約 100機ほどが
生産されましたが、実戦には使用されず終戦と
なりました。

現在、研究所跡地は富士重工や国際基督教大学
三鷹キャンパスなどになっており、面影が全く
ありませんが、研究所の本館が同大学の本館に
活用されています。なお、本館下には地下壕が
張り巡らされているようですが、確認が出来て
いません。(調査継続中です★)



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