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 千葉県南房総市の軍事遺跡一覧 (作成中ですっ★) 収録遺構数:47 


 陸軍東京湾要塞
 大房砲塔砲台


 所在
  南房総市
  富浦町多田良

 収録遺構 (15)
  砲座 1,
  観測所 1,
  地下施設 6,
  軍用地境界標 4,
  その他 2
  砲座(消失) 1

 実地調査
  2019年 6月

  2019年時点の詳細をご紹介します








大房砲塔砲台は東京湾要塞の 1つで、1932年(昭和 7)に竣工しました。

ここには、巡洋艦「鞍馬」の45口径20センチ
 2門入のカノン砲塔が 2基据えつけられて戦闘配備につきました。

また、砲塔砲台の南西に観測所を設けて八八式電気式海岸射撃具が設置され、砲塔砲台と共に終戦まで存続しました。

現在、跡地は県立大房岬自然公園となっており砲座の一部や弾薬庫などが残存し、簡単に見学することが出来ます。



 陸軍東京湾要塞地帯

 所在
  南房総市
  富浦町多田良

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2007年 5月






東京湾要塞は、日本の本土におかれていた永久要塞のうちの 1つで、1895年(明治28)の要塞司令部条例により、永久的な防御工事を施した場所は要塞地帯とされ、軍事機密の保持のため要塞地帯に指定された区域内での測量や撮影・スケッチ・土木工事などは要塞司令部の許可を必要としました。また、これらの防御営造物を基点として250間(約455メートル)以内を特に「要塞地帯第一区」として一般人の立ち入りが禁止されていました。さらに、その距離に応じ「第二区」・「第三区」・「区域」も設定されこれらを明確にするため、その境界線上に要塞地帯標が設置されました。

要塞地帯を定義する法律は数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から 1,000メートル以内が第一区・ 5,000メートル以内が第二区・15,000メートル以内が第三区となり当初よりも大幅に拡大されました。

南房総市については、大房岬砲台の周辺を要塞第一区に定めており、大房岬自然公園内に要塞地帯標が移設保存されています。



 横須賀海軍鎮守府
 桜花特別攻撃隊
 下滝田基地


 所在
  南房総市下滝田

 収録遺構 (3)
  地下壕 1,
  その他 2

 実地調査
  2007年 3月

  2007年時点の詳細をご紹介します





下滝田基地は、太平洋戦争の戦局が劣勢となり本土決戦の切り札として開発された桜花により特攻を行う拠点として1945年(昭和20) 6月に建設が開始されました。

ここには25機の桜花と横穴式の格納庫が 2つと火薬ロケット・ターボジェットを併用した推進カタパルトが配置される予定でしたが、建設の途中で終戦を迎えました。

現在、跡地は山林となっているため埋もれつつありますが、当時の遺構が残っています。

 陸軍東京湾兵団
 稲都大月砲台


 所在
  南房総市中 ほか

 収録遺構 (6)
  砲座 2,
  観測所 1,
  地下壕 2,
  その他 1

 実地調査
  2017年 1月

  2017年時点の詳細をご紹介します





東京湾兵団は太平洋戦争の末期にアメリカ軍が計画していた本土上陸作戦(コロネット作戦)に対抗すべく1945年(昭和20)に編制され、第一総軍の第十二方面軍の傘下に入り、房総半島の君津・天津小湊以南の沿岸防備につきました。

この一環で南房総市を形成した前身の三芳村の稲都地区の海老敷・高井ヶ谷・大月の 3箇所に砲が据え付けられていたようです。

資料に乏しく詳細は判りませんが、このなかで大月砲台は28センチ榴弾砲が 2門据え付けられ現在も砲座や砲側弾薬庫が残っています。

 陸軍東京湾兵団
 稲都高井ヶ谷砲台


 所在
  南房総市山名

 収録遺構 (7)
  砲座 1,
  地下壕 2,
  観測所 1,
  トンネル 1,
  その他 2

 実地調査
  2017年 1月

  2017年時点の詳細をご紹介します








高井ヶ谷砲台は太平洋戦争の末期に編制された東京湾兵団が守備する砲台として 1945年(昭和20)に建設が開始されました。

ここには、28センチ榴弾砲が 1門据え付けられ築城は東京湾要塞第一砲兵隊の第二中隊が担当したそうです。

現在、跡地は山林となりほとんどが放置された状態となっていますが砲座や砲側壕・観測所・塹壕などが残存し、一部は有志の方々によって清掃されており、見学しやすくなっています。

 海軍東京湾要塞地帯

 所在
  南房総市本織

 収録遺構 (1)
  軍用地境界標 1

 実地調査
  2007年 5月






東京湾要塞は、日本の本土におかれていた永久要塞のうちの 1つで、1895年(明治28)の要塞司令部条例により、永久的な防御工事を施した場所は要塞とされ、海軍では砲台や軍港が該当します。また、関係する法律も公布されており軍事機密の保持のため、要塞地帯に指定された区域内での測量や撮影・スケッチ・工事などは要塞司令部の許可がないと出来ませんでした。また、これらの防御営造物を基点として250間(約455メートル)以内を「要塞第一区」に定め一般人の立ち入りを厳しく制限していました。さらに、その距離に応じるように「第二区」・「第三区」・「区域」も設定され、その境界に要塞地帯標を設置しこれらを明確にしました。

要塞地帯を定義する法律は数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から 1,000メートル以内が第一区・ 5,000メートル以内が第二区・15,000メートル以内が第三区となり当初よりも大幅に拡大されています。

南房総市については、要塞第一区に定められた箇所があり、要塞地帯標が残存しています。



 多田良西浜射撃場


 所在
  南房総市
  富浦町多田良

 収録遺構 (1)
  その他 1

 実地調査
  2017年 11月









多田良西浜射撃場は現役として軍務に服さない在郷軍人が復帰するための訓練場の 1つとして1935年(昭和10)頃に設置されたようです。

資料に乏しく詳細は不明ですが、跡地の一部は多田良西浜海水浴場に変遷し、現在は海水浴やバーベキューなどで賑わいますが、西側の海岸付近に当時のものとされる遺構が残ります。

 陸軍東京湾兵団
 抵抗拠点陣地


 所在
  南房総市加茂 ほか

 収録遺構 (10)
  地下壕 10

 実地調査
  2018年 8月
  (継続調査中)

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東京湾兵団は太平洋戦争の末期にアメリカ軍が計画していた本土上陸作戦(コロネット作戦)に対抗すべく1945年(昭和20)に編制され、第一総軍の第十二方面軍の傘下に入り、房総半島の君津・天津小湊以南の沿岸防備につきました。

この一環で、館山湾・千倉・和田浦方面からの上陸阻止を目的とした洞窟陣地が南房総市内に多く構築されました。

陣地は一部の入口が封鎖されていますが、放置された状態のものが多く見学が可能です。

 横須賀海軍鎮守府
 第一特攻戦隊
 大房基地


 所在
  南房総市
  富浦町多田良

 収録遺構 (3)
  地下壕 2,
  その他 1

 実地調査
  2022年 6月

  2022年時点の詳細をご紹介します








第一特攻戦隊は、太平洋戦争の戦局が圧倒的に劣勢となったことで、きたる本土決戦に備えて編成された特別攻撃部隊で1945年(昭和20)に神奈川県の三浦市に司令部がおかれました。

この部隊が防衛する範囲は主に房総半島と三浦半島の南部とされ、上陸のため接近する艦船に対し「回天10型」を配備して攻撃を行うため、配下の第十八突撃隊の魚雷射堡が大房岬に建設されましたが、完成せず終戦となりました。

現在、跡地は大房岬自然公園となっていますが海岸園地の周辺に遺構が残っています。

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