陸軍工兵学校
所在 松戸市岩瀬 ほか
収録遺構 (20) 建物基礎 3, 門柱 1, 歩哨 1, 軍用地境界標 13
実地調査 2013年 7月
松戸駅から近いので 探訪してください★ 探訪初心者の方でも 簡単に巡れますよ★ |
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工兵学校は、軍備の近代化に際し工兵の技術を高めることが求められて制定された条例により工兵に関する兵科教育を行うことを目的として1919年(大正 8)に設立された教育機関です。
「工兵」は、戦地において道路や橋梁・塹壕・飛行場などを構築・爆破する役割を持つ兵科で戦略上の重要な支援部隊となるため工兵技術の専門教育を施すことは、軍備を強固にする上で他の兵科と同様に重要視されました。
ここでは、工兵に関する専門的な教育をはじめ工兵が取り扱う機材の研究や実験などが行われ終戦までに多くの学生が卒業しました。
現在、学校の敷地は松戸中央公園や聖徳大学・市立第一中学校などとなっていますが、軍用地境界標を中心とした遺構が残っています。
ちなみに、松戸中央公園に 「松戸工兵学校」の石碑が おかれており、工兵学校の 記載があります★
時間がある方は、こちらも 立ち寄ってくださいね★ | |
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陸軍鉄道第二連隊 演習線
所在 松戸市五香南 ↓ 松戸市中矢切
収録遺構 (29) 軍用地境界標 29
実地調査 2009年 4月 (文献調査中)
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鉄道第二連隊の演習線は兵科演習の一環として工事速度や敷設技術などを高めることが目的で建設され、1932年(昭和7)に津田沼の兵営より松戸の矢切 (軍用地境界標の残存から推定しています) へ至る区間が開通しました。
現在、演習線跡の多くは新京成線の路線として活用されていますが、活用されていない区間もあって、これらは住宅や道路などになっており軍用地境界標が残っている区間があります。
文献調査が中途半端なので 掲載している遺構の一部は 工兵学校の軌道が含まれて いる可能性があります・・
引き続き、調査を継続して 解析してみますね★ | |
| 軍用地境界標は、栗ヶ沢や 金ヶ作・松戸新田に多数、 五香南・日暮・和名ヶ谷・ 中矢切に少数ありますよ★
他にもありそうですが・・ |
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陸軍第十飛行師団 松戸飛行場
所在 松戸市松飛台 ほか
収録遺構 (4) 建物 3, 飛行機掩体 1
実地調査 2009年 4月 (継続調査中)
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ちなみに、駐屯地内の 調査は全然出来てない 状態です・・・▲
敷地を一般に開放する 日もあるようなので、 狙ってみようかなっ★ 格納庫を撮りたいっ!
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松戸飛行場は、旧郵政省の前身である逓信省の航空機高等乗員養成所の飛行場として1940年(昭和15)に開設されますが1944年(昭和19)に入ると戦局が逼迫し、首都の防衛が必要となり陸軍がこれを接収して第十飛行師団の飛行場に使用しました。
ここには、夜間防空を主な任務とした同師団の第五十三戦隊が配属され、爆撃のため飛来するアメリカ軍と交戦しました。
松戸飛行場の敷地は、陸上自衛隊松戸駐屯地や松飛台工業団地などに変遷して、当時の面影がほとんどありませんが、松戸駐屯地内を中心に当時の遺構が残っています。
| ちなみに、「松飛台」は この場所に松戸飛行場が おかれたことに由来する 地名ですよっ★
知っている方も多いとは 思いますがっ・・・ |
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陸軍第九十三師団 千駄堀倉庫
所在 松戸市松飛台 ほか
収録遺構 (3) その他 3
実地調査 2009年 4月 (継続調査中)
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第九十三師団は、太平洋戦争での戦局が劣勢となったことにより、第五十二師団の留守部隊を基幹として1944年(昭和19)に編制され来たる本土決戦に備えて隷下部隊とともに松戸市内へ移りました。
この翌年の1945年(昭和20)に入ると千駄堀に食料の備蓄や弾薬類の保管を目的として塹壕や地下壕が掘削されたようですが、詳しいことは判っていません。
現在、跡地は21世紀の森公園や住宅地に変遷し整地されていますが、公園内に塹壕や地下壕の痕跡などを少しだけ見ることが出来ます。 |