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 東京都清瀬市の戦争遺跡一覧 収録遺構数:7 


海軍東京無線電信所
大和田通信所

 (東京海軍通信隊
  大和田通信隊)


 所在
  清瀬市
  下清戸 3 ほか

 収録遺構 (4)
  軍用地境界標 4

 実地調査
  2007 12
  2007年時点の詳細をご紹介します
祐実:う〜ん、アクセスがよくないです・・
 交通アクセスがあまり
 よくないですね・・・
 西武池袋線の清瀬駅が
 最寄りとなります★







大和田通信所は、主に無線の受信を行う目的で
1937(昭和12)に開設されました。

この地が通信所の建設地に選ばれた理由には、
武蔵野台地の中央に位置しており、電波障害の
要因となる障害物が周辺に無かったことなどが
挙がります。

ここには、大小の無線受信機が 223台設置され
通信に使用する木製主柱90本を等間隔に建てて
受信する方面により通信用の主柱を使い分けて
自軍の受信任務にあたり、真珠湾攻撃の成功を
伝える電文や、ポツダム宣言の電文などを受け
軍部に報告しました。また、敵国の無線などを
傍受して解読する作業も行われていました。

戦後は、中央気象台が施設を使用しましたが、
現在はアメリカ軍の通信基地に使用されており
敷地内に立入ることが出来ませんが、通信所の
南端にあたる下清戸 3丁目の農地内に、軍用地
境界標がいくつか残っています。
直美:地元の人には勝てないねっ♪ 
軍用地境界標は、非常に
判り辛い場所にあるので
周辺の農家の方に尋ねて
みてくださいね★

結構、存在を知っている
方も多いですので♪

傷痍軍人東京療養所

 所在
  清瀬市
  竹丘 3 ほか

 収録遺構 (3)
  建物 1,
  その他 2

 実地調査
  2012 9








傷痍軍人とは、戦争などによって負傷したり、病気にかかって復帰出来なくなった陸・海軍の軍人のことで、彼らに対して十分な恩給を支給する一環として、その処遇の保護をするために療養所が各地に設立されました。東京療養所は1939年(昭和14)に設置され、終戦まで機能していました。

現在、跡地は国立病院機構東京病院が引き継ぎ病院内に外気舎と呼ばれる小さな木造の病棟や
防火水槽などがわずかに残っています。


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