陸軍造兵廠名古屋工廠 千種機器製造所 鳥居松分工場 (名古屋陸軍造兵廠 鳥居松製造所)
所在 春日井市王子町
収録遺構 (3) 門柱 1, 建物 1, 軍用地境界塀 1
実地調査 2017年 7月
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千種機器製造所は、名古屋市におかれた造兵廠名古屋工廠が管轄した兵器製造工場で、第一次世界大戦から新しい兵器として活躍をはじめた飛行機のエンジンや、航空機関砲・小銃などの生産を目的として1923年(大正12)に前身の東京砲兵工廠の分工場からの組織改編により開設し兵器や弾薬類の需要が高まったことを受けて、1939年(昭和14)に分工場が現在の春日井市内に設置されました。
ここでは、主に小銃や拳銃・短剣などを製造し1940年(昭和15)の組織改編により名古屋工廠が名古屋造兵廠に改称されると分工場から独立し鳥居松製造所に改称され約 263,000坪の敷地に 5つの工場と本館・試射場・工員寮などを設け約12,000名の工員が従事していました。
太平洋戦争の末期は銃剣類のほかに風船爆弾の製造にも携わりますがアメリカ軍による空襲が激化し、終戦前日にあたる1945年(昭和20) 8月14日には 1発あたりの総重量が 4.8トンもあるパンプキン爆弾と呼ばれた原爆模擬爆弾が 3発投下されて施設は壊滅状態となりました。
現在、跡地は王子製紙春日井工場となっており門柱や塀の一部・建物などが残っています。
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名古屋陸軍造兵廠 高蔵製造所 鷹来分工場 (名古屋陸軍造兵廠 鷹来製造所)
所在 春日井市鷹来町
収録遺構 (7) 建物 3, その他 4
実地調査 2017年 7月
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高蔵製造所は、名古屋市におかれた名古屋陸軍造兵廠が管轄した兵器製造工場で 1940年(昭和15)に 前身である名古屋工廠高蔵兵器製造所の組織改定によって開設され、兵器などの需要が高まったために分工場が1941年(昭和16)に設置されました。
ここでは主に小銃の弾を製造し 約200,000坪の敷地に 6つの工場がおかれ、のちに分工場から独立して鷹来製造所に改称し地元や中部地方を中心とした約14,000名の工員や学徒などが昼夜2交代制で作業に従事していましたが、太平洋戦争の終戦の前日にあたる1945年(昭和20) 8月14日の空襲で原爆模擬爆弾が投下され、施設は壊滅状態となりました。
現在、跡地は名城大学の付属農場や、市立鷹来中学校・春日井浄水場などに変遷していますが当時の本館や防火水槽などの遺構が残っており申請をすることで見学可能です。 |
名古屋陸軍造兵廠 鳥居松製造所 鳥居松軍用線
所在 春日井市上条町 ↓ 春日井市王子町
収録遺構 (1) 門柱 1
実地調査 2017年 7月
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鳥居松軍用線は鳥居松製造所への資材の搬入や生産品の搬出を中央線経由で行うことを目的に敷設されました。
現在、軍用線は王子製紙春日井工場の専用線に活用されており構内への入口に設けられていた鉄道門が残っています。 |
名古屋陸軍造兵廠 鷹来製造所 鷹来軍用線
所在 春日井市上条町 ↓ 春日井市鷹来町
収録遺構 (2) 橋梁 2
実地調査 2017年 7月 (継続調査中)
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鷹来軍用線は、鷹来製造所への資材の搬入や、生産品の搬出を中央線経由で行うことを目的に敷設され、1942年(昭和17)に使用が開始されたようです。
線路は、現在のJR中央線の春日井駅付近から分岐をして北へ方向を変え、六軒屋町を経由し鷹来製造所に向かって敷設されていました。
現在、軍用線跡の多くは生活道路となっており痕跡が判りづらくなっていますが当時の遺構がわずかに残っています。 |
陸軍小牧飛行場 小牧軍用線
所在 春日井市 春日井上ノ町 ほか
収録遺構 (1) その他 1
実地調査 2017年 7月
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小牧軍用線は小牧飛行場に展開した陸軍部隊に対し現在の名鉄小牧線を経由して燃料や弾薬・資材などを搬入する目的で敷設され、軍用線の完成時期は飛行場の開設と同時期であるものと推測しています。
戦後も一時期は敷地を接収したアメリカ軍や、航空自衛隊小牧基地で燃料の輸送用に使われていたようですが現在は完全に廃線となっており線路の跡が残っています。 |