陸軍東部第一〇五部隊 柏飛行場 (陸軍第十飛行師団 柏飛行場)
所在 柏市柏の葉 6 ほか
収録遺構 (14) 門柱 1, 建物 3, 飛行機掩体 3, 地下施設 4, その他 3
実地調査 2021年 10月
現在、滑走路と誘導路の 周辺は、TX線の開業で 大規模開発が進んでおり 飛行機掩体が消滅危機に 瀕しています▲
|
|
東部第一〇五部隊は、支那事変の本格化により首都の防衛を行うため1938年(昭和13)に開設され、現在の柏の葉地区を中心に部隊の兵営と長さ1,500メートルの滑走路を有する飛行場がおかれ、東京の立川より飛行第五戦隊が移って配備につきました。
1941年(昭和16)に入ると太平洋戦争の開戦にともない飛行場の拡張工事が進められると飛行第八十七戦隊・第一戦隊が増強配備され東京の調布飛行場と共に陸軍の防衛拠点として機能しニューギニアやフィリピンなどにも派遣されていきました。
やがて、戦局が徐々に逼迫していくと、部隊は第十飛行師団の傘下に入り、飛行第十八戦隊や第七十戦隊が編成され、京浜地区を中心とした本土の防衛にあたりました。
戦争末期には、陸軍保有の戦闘機を総結集させアメリカ軍の本土空襲に対し特攻を行うために編成された航空総軍の傘下に入って、飛行場はロケット戦闘機「秋水」の基地に割り当てられ整備が進められましたが、終戦となりました。
終戦後、飛行場はアメリカ軍に接収されて通信基地に使用されましたが、現在は返還されて、柏の葉公園や国立がんセンター病院・財務省の税関研修所などとなっています。 |
陸軍東部防衛軍司令部 高射砲兵第二連隊 (陸軍東部十四部隊, 陸軍東部八十三部隊)
所在 柏市根戸 ほか
収録遺構 (8) 建物 1, 門柱 1, 歩哨 1, 軍用地境界標 5
実地調査 2020年 6月
|
|
高射砲兵第二連隊は柏飛行場と周辺におかれた軍事施設の防衛を行うため1938年(昭和13)に市川の国府台から移駐して、現在の根戸周辺に兵営をおきました。また、兵営の中央に 4つの鉄塔をおき、それぞれの頂上部分をワイヤーで繋ぎ、模擬飛行機を吊り下げ標的とし、平時の高射砲演習に使用されました。
1941年(昭和16)に入ると部隊の主力が東京へ移ったため、この 2年後の1943年(昭和18)に東京師管区に従属する歩兵と工兵の各補充隊にあたる東部八十三部隊と東部十四部隊が跡地に駐屯して(高射砲兵第二連隊は同年廃止)戦地に送られるまでの間に部隊の編成と訓練が行われ終戦まで存続しました。
現在、跡地のほとんどは住宅地になっており、面影がありませんが、当時の遺構が少し残っています。 |
陸軍第一飛行集団 第四航空教育隊
所在 柏市高田 ほか
収録遺構 (6) 門柱 2, 建物 2, その他 2
実地調査 2020年 6月
同部隊の遺構は、他に 敷地西端を示している 軍用地境界標が残って いますよ★
なお、これについては 流山市のページを見て くださいね★ |
|
第四航空教育隊は第一飛行集団に隷属した教導部隊で1938年(昭和13)に開設し当初は東京の立川に施設がおかれていましたが、柏飛行場の開設にともない1940年(昭和15)に現在の高田周辺へ移駐して施設がおかれました。
ここでは、半年の期間に亘って航空兵の養成を行い、その教育課程を終えると、航空兵として実戦部隊へ送り込まれていきました。
現在は、跡地のほとんどが機械金属工業団地となっており当時の面影がありませんが、門柱が保存されているほか、給水塔などの遺構が残存しています。 |
柏陸軍病院
所在 柏市花野井
収録遺構 (2) 軍用地境界標 2
実地調査 2010年 3月 |
|
柏陸軍病院は、柏飛行場とこの周辺に展開した陸軍部隊の負傷兵を収容するための病院として 1939年(昭和14)に設置され、終戦まで機能が存続しました。
現在、跡地は国立柏病院を経て、市立柏病院となっており、当時の建物は消失していますが、敷地南端を示す軍用地境界標が 2本残ります。 |
柏陸軍墓地
所在 柏市柏
収録遺構 (5) 門柱 1, 軍用地境界標 4
実地調査 2018年 4月 |
|
柏陸軍墓地は、現在の柏市内に展開した部隊の戦没者や戦病没者を埋葬するために設置されたようです。
資料に乏しく詳細は判っていませんが、跡地は柏公園や住宅地などに変遷しており、周辺には軍用地境界標を中心とする遺構が残ります。 |