陸軍第三師団 歩兵第七連隊 (陸軍第九師団 歩兵第七連隊)
所在 金沢市丸の内 1
収録遺構 (3) 建物 1, トンネル 1, その他 1
実地調査 2016年 8月
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歩兵第七連隊は、陸軍の師団編成の前身である名古屋鎮台に隷属した部隊で1875年(明治 8)に金沢で編制され金沢城に兵営がおかれました。その後、師団の創設にともない第三師団の基幹部隊となり、日清戦争に出征し参戦しました。
日清戦争が終結すると、さらなる日本の軍備の拡充により金沢で新たに第九師団が新設され、隷属先が変更されて日露戦争へ突入しました。
昭和時代に入ると、日中戦争へ突入したことを機に満州へ移駐して参戦しましたが、そのまま太平洋戦争に突入すると、第七連隊は満州から沖縄へ移り第九師団の精鋭として防衛の中核を担う予定でしたが、作戦が変更されて台湾へと転出し防衛の任務につきましたが、連合国軍は台湾を通り越して沖縄本島へと上陸したため、交戦せずに終戦を迎えました。
連隊がおかれた跡地は金沢城公園となっておりほとんど遺構は残っていませんが、嘉永時代に落成した武具土蔵を活用した被服庫や、煉瓦で造られた土塁トンネルなどが公園内に残存し、簡単に見学することが出来ます。 |
陸軍第三師団 歩兵第六旅団 旅団司令部 (陸軍第九師団 歩兵第六旅団 旅団司令部)
所在 金沢市丸の内 1
収録遺構 (3) 建物 1, その他 2
実地調査 2016年 8月
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歩兵第六旅団は、第三師団に隷属した部隊で、傘下に歩兵第七連隊と歩兵第十九連隊をおいて金沢城に旅団の司令部が設置されました。
1898年(明治31)に入り、軍備増強の必要性から新設された第九師団が金沢で編制されると第三師団から第九師団へと転属し、傘下に歩兵第七連隊と富山に兵営がおかれていた歩兵第三十五連隊をおきました。
現在、旅団司令部の跡地は金沢城公園に変遷し整地されていますが、司令部庁舎や関連遺構がわずかに残っています。 |
陸軍第九師団 師団司令部 (陸軍第五十二師団 師団司令部)
所在 金沢市 丸の内 1 ほか
収録遺構 (6) 建物 2, その他 4
実地調査 2016年 8月
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第九師団は、日清戦争の後に日本の軍備増強の必要性から新設された 6師団のうちの 1つで、1898年(明治31)に金沢で編制され師団司令部が金沢城内におかれました。
戦歴も古く、日露戦争・シベリア出兵に参加しのちに久留米で編制された第十八師団とともに陸軍内部で精鋭さでは双璧といわれました。
昭和時代に入ると、日中戦争へ突入したことを機に満州へ移駐すると、留守部隊を基幹にして第五十二師団が編制され施設が使われました。
太平洋戦争に突入すると、第九師団は満州から沖縄へ移って精鋭師団として防衛の中核を担う予定でしたが、作戦が変更されて台湾へ転出し防衛の任務につきましたが、連合国軍は台湾を通り越して沖縄本島に上陸したため、交戦せず終戦を迎えました。この一方で第五十二師団もトラック島に派遣され防衛任務につきましたが連合軍の爆撃によって輸送路を断たれたことで孤立し、備蓄物資の節約と自給自足に努めつつ終戦を迎えたようです。
師団がおかれた跡地は金沢城公園となっており当時の遺構はないようですが、移設された師団司令部の庁舎と出羽町におかれていた師団長の官舎と付帯する遺構が残っています。 |
陸軍第九師団 輜重兵第九大隊 (陸軍第九師団 輜重兵第九連隊)
所在 金沢市平和町
収録遺構 (1) その他 1
実地調査 2016年 8月
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輜重兵第九大隊は前線に弾薬や食料などを運び補給する役割を持つ部隊で、1897年(明治30)に名古屋で編制され第九師団の新設にともなって金沢に新設された兵営に移駐しました。
昭和時代に入ると、大隊から連隊に昇格し日中戦争へ突入したことを機に満州へ移駐して参戦しましたが、太平洋戦争の開戦によって沖縄の守備を経て台湾に転出し終戦となりました。
現在、跡地は住宅地に変遷しており面影が全くない状態ですが、兵営内におかれた輜勲神社の石柱の一部が平和神社内に保存されています。 |
金沢陸軍偕行社
所在 金沢市石引 4
収録遺構 (1) 建物 1
実地調査 2016年 8月
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偕行社は、研修や親睦を目的として設立された陸軍将校のクラブで、1877年(明治10)に東京で最初に設置されたのを皮切りにし師団司令部の所在地に設置されていきました。
金沢偕行社は第九師団の編制にともない1898年(明治31)に開設され、当初は金沢市の大手町におかれていましたが、1909年(明治42)に市内の石引地区に移されました。
終戦後、建物は石川県庁舎の石引分室に使われましたが、現在は登録有形文化財に指定されて保存されています。 |
金沢陸軍兵器支廠 (陸軍第九師団兵器部)
所在 金沢市石引 4
収録遺構 (4) 建物 3, 門柱 1
実地調査 2016年 8月
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金沢陸軍兵器支廠は、大阪の兵器本廠に隷属し第九師団に関係する兵器弾薬・材料の購買や、これらの貯蔵・修理を行う機関として、1899年(明治32)に設置されました。
1918年(大正 7)に入ると、各師団内に兵器部が設置されたことで廃止され、その後は第九師団兵器部として終戦まで機能が存続しました。
戦後、施設は大学の校舎に使われたようですが現在は石川県立歴史博物館となっており、国の重要文化財に指定されている兵器庫群のほかに門柱が残存しています。 |
金沢陸軍埋葬地 (金沢陸軍墓地)
所在 金沢市野田町
収録遺構 (7) その他 6, 墓標様
実地調査 2016年 8月
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金沢陸軍埋葬地は、金沢市内に展開した部隊の戦没者や戦病没者が埋葬されている陸軍墓地で1876年(明治 9)に兵営から南へ離れた野田山におかれました。
当時の埋葬地の敷地面積は約13,000uでしたが終戦後に金沢市へ移管されたことにともなって拡張整備され、現在は市営墓地に変遷しており合葬墓碑や個人墓標・灯篭の見学が可能です。 |