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 神奈川県鎌倉市の戦争遺跡一覧 収録遺構数:36 


海軍東京湾要塞地帯


 所在
  鎌倉市
  材木座 6 ほか

 収録遺構 (2)
  軍用地境界標 2

 実地調査
  2006 3
  2006年時点の詳細をご紹介します



鎌倉には、海軍によって
指定された要塞地帯標が
残っています★

これらも是非見ていって
くださいね★
畝傍:近場だと横須賀に沢山ありますねっ★

東京湾要塞は、日本の本土におかれた12箇所の永久要塞のうちの 1つです。1895(明治28)の要塞司令部条例によって、永久的な防御工事を施している場所は「要塞」とされ、海軍の場合砲台や軍港が「要塞地帯」とされました。またこれに伴う法律も公布されており、軍事機密の保持のため、要塞地帯に指定された区域内での測量や撮影・スケッチ・土木工事などは、要塞司令部の許可がないと出来ませんでした。またこれらの防御営造物より250(455メートル)以内を特に「要塞地帯第一区」として一般人の立入りが禁止され、衛兵が守備していました。さらに、その距離に応じ「第二区」・「第三区(区域)」が設定され、これらを明確にするためその境界部に要塞地帯標が設置されました。

要塞地帯を定義する法律は数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から 1,000メートル以内を第一区・ 5,000メートル以内を第二区・15,000メートル以内を第三区(区域)と当初よりも大幅に拡大されました。

鎌倉市については、要塞地帯第一区と第二区に定められた箇所があり、その境界に設置された要塞地帯標が現在も残っています。


大船第一海軍燃料廠
大船軍用線


 所在
  鎌倉市大船 1

 収録遺構 (1)
  橋梁 1

 実地調査
  2015 4




大船軍用線は、横浜市の本郷台におかれていた大船第一海軍燃料廠への資材の搬入出を目的に敷設されました。

終戦後はアメリカ軍が接収し、物資倉庫の専用線として使用されましたが、現在は返還されて廃線となっており、跡地の大半が道路になっているため面影がなくなっていますが、大船駅の笠間口脇を流れる川の両岸に橋脚の一部が残存しています。

横須賀海軍水道路
半原系統


 所在
  鎌倉市大町 5
    ↓
  鎌倉市笛田 1

 収録遺構 (28)
  トンネル 1,
  橋梁 1,
  軍用地境界標 24,
  その他 2

 実地調査
  2007 5
  2007年時点の詳細をご紹介します






横須賀海軍水道路は、横須賀市におかれていた横須賀海軍工廠を中心とした海軍施設に対して水を供給する目的で、1876(明治 9)に専用の水道が走水の水源地より敷かれました。しかし施設の拡大に伴って水の需要が増えてしまい、この専用水道だけでは供給不足となり、新たに相模川の支流となる中津川を水源に、愛川町の半原より横須賀市の逸見浄水場までの約53kmにわたる長大な水道路の敷設が計画され、1918(大正 7)に半原系統として通水し、鎌倉市内を縦断しています。

戦後、水道路は横須賀市に移管されて、市民が使用する水道として使われていますが、軍用地境界標を中心とした当時の遺構が現在も残っています。

せりな:いい運動になりますっ♪鎌倉市内の水道路は、
藤沢以北とは全然違い
アップダウンが少なく
歩きやすいですよ★

少々地味ですが探訪を
お勧めします♪

横須賀海軍軍需部
大船倉庫
大船軍用線


 所在
  鎌倉市大船 1
    ↓
  鎌倉市大船 4

 収録遺構 (1)
  橋梁 1

 実地調査
  2015 4




大船軍用線は、現在の市立大船中学校の一帯におかれていた横須賀海軍軍需部の大船倉庫への資材の搬入出を目的に敷設されました。

終戦後、軍用線は廃線となり用地のほとんどが住宅地となっていますが、大船駅周辺に面影があり、わずかに橋脚の一部が残っています。

ちなみに、大船倉庫の敷地周辺も歩きましたが当時の遺構を見つけられませんでした・・・▲

海軍横須賀軍港境域


 所在
  鎌倉市十二所

 収録遺構 (2)
  軍用地境界標 2

 実地調査
  201510
  2015年時点の詳細をご紹介します




横須賀軍港境域は、横須賀市におかれた横須賀海軍鎮守府が統括した横須賀軍港の土地境界を決定するものとして、1896年(明治29)に条項が設けられました。

軍港境域と定めた場所では一般人の立ち入りが厳しく制限され、その範囲を明確にするための軍港境域標が境域の境界線に設置されました。

鎌倉市についても、一部分が横須賀軍港境域に定められていたため、軍港境域標が設置されており 2本の残存を確認しています。

横須賀海軍警備隊
第三高角砲大隊
佐介山防空砲台


 所在
  鎌倉市佐助 2

 収録遺構 (2)
  砲座 2

 実地調査
  2017 2
  2017年時点の詳細をご紹介します




佐介山防空砲台は横須賀におかれた軍港周辺の防衛を目的として1945年(昭和20)に建設が開始されました。

ここには、12.7センチ高角砲を 2門据え付けて防備にあたる予定であったそうですが、建設の途中で終戦を迎えたようです。

現在、跡地は鬱蒼とした竹林になっているため遺構の判別が難しいですが佐助稲荷神社の西に位置する山林内に、建設途中の砲座とおぼしき大きな穴が残っています。

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