陸軍第十飛行師団 松戸飛行場
所在 鎌ヶ谷市 くぬぎ山 1 ほか
収録遺構 (3) 建物 2, 歩哨 1
実地調査 2009年 3月
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| 松戸駐屯地内の遺構は ほとんど記録が出来て いません・・・▲
いつかは柵内から記録 したいですねっ! |
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松戸飛行場は、旧郵政省の前身である逓信省の航空機高等乗員養成所の飛行場として1940年 (昭和15)に開設されますが1944年(昭和19)に入ると戦局が逼迫し、首都の防衛が必要となり陸軍がこれを接収して第十飛行師団の飛行場に使用しました。
ここには、夜間防空を主な任務とした同師団の第五十三戦隊が配属され、爆撃のため飛来するアメリカ軍と交戦しました。
松戸飛行場の敷地は、陸上自衛隊松戸駐屯地や松飛台工業団地などとなっていますが、一部が鎌ヶ谷市に跨っており、当時の遺構がいくつか残っています。
鎌ヶ谷市は面積が小さい 自治体ですが、ここには 松戸と藤ヶ谷の飛行場が あったことになります★ す、すごいですね・・・ | |
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陸軍鉄道第二連隊 演習線
所在 鎌ヶ谷市くぬぎ山 5 ↓ 鎌ヶ谷市南鎌ヶ谷 2
収録遺構 (23) 軍用地境界標 19, その他 4
実地調査 2009年 3月
幼少期、学校の先生に 「新京成がクネクネと カーブが多い理由は、 爆弾を避けるため」と 教わった気がします★
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鉄道第二連隊の演習線は、兵科演習の一環で、工事速度や敷設技術などを高めることが目的で建設され1932年(昭和 7)に津田沼の兵営より松戸の矢切 (詳細は調査中で、軍用地境界標の残存から推定してます) へ至る区間が開通し、鎌ヶ谷市を縦断しています。
現在、演習線跡の多くは新京成線の路線として活用されていますが、活用されていない区間もあって、これらは住宅や道路などになっており軍用地境界標が残っている区間があります。
ちなみに、この区間を 歩く場合 3〜 4時間の 所要が必要ですよ★
新京成線の元山駅から 二和向台駅までを歩く イメージですね・・・ | |
| 演習線の軍用地境界標は 廃線となっている初富〜 二和向台の区間にかなり 残っていますよ★他にも くぬぎ山 5丁目や北中沢 1丁目にも残ってますが 後者は確実に消えます▲ |
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陸軍第十飛行師団 藤ヶ谷飛行場
所在 鎌ヶ谷市軽井沢 ほか
収録遺構 (7) 地下施設 1, 軍用地境界標 1, その他 5
実地調査 2016年 5月
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藤ヶ谷飛行場は、太平洋戦争の戦局が圧倒的な劣勢に傾き、アメリカ軍による空襲が本格化し首都の防衛強化が必要となったため、もともと広大なゴルフコースだった土地を陸軍が接収し 1945年(昭和20) 4月に開設されました。
ここには、夜間防空を主な任務とした第十飛行師団の第五十三戦隊が配属されて、終戦までの短い期間、首都の防衛にあたりました。
現在、飛行場敷地の大部分が海上自衛隊の下総航空基地となっており、当時の遺構は消失しているようですが、敷地の東側にあたる軽井沢に飛行場に関連していたと考えられる地下施設と塹壕が残っています。
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藤ヶ谷陸軍飛行場 軍用線
所在 鎌ヶ谷市南佐津間 ↓ 鎌ヶ谷市佐津間
収録遺構 (2) 橋梁 1, その他 1
実地調査 2022年 3月
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藤ヶ谷陸軍飛行場の軍用線は兵器や弾薬・資材などを現在の東武野田線経由で搬入するために敷設されました。
軍用線は、六実駅の構内で分岐して東に進路を変え飛行場の西側に引き込まれており、現在は住宅地・畑地などで面影がなくなっていますが一部で名残を見ることが出来ます。
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