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 兵庫県加古川市の軍事遺跡一覧 収録遺構数:51 


 陸軍第二十五飛行団
 飛行第十三戦隊
 加古川飛行場


 所在
  加古川市
  尾上町池田 ほか

 収録遺構 (5)
  門柱 1,
  軍用地境界標 3,
  その他 1

 実地調査
  2016年 2月

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飛行第十三戦隊は、商業の中心地でもある阪神地区の防空を主目的として1937年(昭和12)に編成され、隣接して飛行場が設置されました。

その後、戦隊は大正飛行場へ移駐となりますが兵営や飛行場は、熊本からの第一〇六教育飛行連隊の移駐を皮切りとして、新たに編成された第一〇三教育飛行連隊や第一一四教育飛行連隊などが使用し、戦闘機を使った戦技教育や要地防空の任務につきました。

現在、跡地はナフコやあかねの湯などの大規模施設に変遷しており、当時の面影はないですが敷地の北東付近に遺構が少しだけ残ります。

 陸軍中部防衛軍司令部
 高射砲兵第三連隊

 (陸軍航空通信学校
 第一教育隊,
 加古川教導航空通信団
 第一教育隊)


 所在
  加古川市
  野口町水足

 収録遺構 (10)
  門柱 2,
  建物 3,
  橋梁 1,
  軍用地境界標 4

 実地調査
  2016年 2月

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高射砲兵第三連隊は、大阪府和泉市におかれた野砲兵第四連隊の兵営内で1937年(昭和12)に編成され、現在の加古川市に新設された兵営に移駐しました。

太平洋戦争に突入すると、本土での防空任務にあたるために神戸へ移駐したため、兵営は航空通信に関する教育を行った航空通信学校の第一教育隊が使用し、のちに教育隊を軍隊化させて編成した加古川教導航空通信団の傘下に入って終戦まで存続しました。

現在、跡地はハリマ化成や商業施設などに変遷していますが、当時の遺構が残っています。

 加古川陸軍病院
 (加古川第一陸軍病院)


 所在
  加古川市
  尾上町口里

 収録遺構 (4)
  建物基礎 1,
  軍用地境界標 2,
  その他 1

 実地調査
  2016年 2月

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加古川陸軍病院は、加古川に飛行第十三戦隊が展開したことで設置された病院で 1937年(昭和
12)に姫路陸軍病院から分離し開院しました。

1942年(昭和17)に入り、市内に歩兵第一〇六連隊が新設され、これに隣接して病院が新たに設置されたことから、区別のために加古川第一陸軍病院と改称し、終戦まで存続しました。

現在、跡地は浜の宮幼稚園や浜の宮公園などに変遷していますが、わずかに当時の遺構が残存しています。

 陸軍航空通信学校
 第二教育隊


 所在
  加古川市
  尾上町口里

 収録遺構 (8)
  門柱 2,
  建物基礎 3,
  その他 3

 実地調査
  2016年 2月

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航空通信学校は、幹部・下士官の候補生や少年飛行兵などに対し航空通信に関する教育を行う目的で設置されていた教育機関で生徒の増加に対応するため、現在の加古川市に第一教育隊がおかれたことを皮切りに第二教育隊が1943年(昭和18)に開設されました。

ここには、講堂や校舎・将校集会所をはじめ、関連施設が設置されており太平洋戦争の末期は教育隊を軍隊化して編制された加古川教導航空通信団の傘下となりました。

現在、跡地は市立浜の宮中学校や浜の宮公園となっていますが、公園内に当時の遺構が残存し一部は保存されています。

 各務原陸軍航空支廠
 神野出張所

 (大阪陸軍航空補給廠
 神野出張所)


 所在
  加古川市
  神野町石守 ほか

 収録遺構 (4)
  門柱 1,
  地下壕 1,
  その他 2

 実地調査
  2019年 4月

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各務原陸軍航空支廠は、飛行機とその装備品の補給などを行う目的で1936年(昭和11)に開設され、航空機に搭載する爆弾などの貯蔵を行う出張所が加古川市に設置されました。

1941年(昭和16)には隷属先の変更が行われて大阪陸軍航空補給廠に移管され、爆弾類の貯蔵施設として終戦まで機能しました。

現在、敷地跡のほとんどが加古川刑務所となり遺構の有無は判っていませんが、敷地の北限にいくつか当時の遺構を確認出来ています。

 陸軍第六十三独立歩兵団
 歩兵第一〇六連隊

 (陸軍航空通信学校
 神野教育隊)


 所在
  加古川市山手 1

 収録遺構 (7)
  門柱 1,
  建物 1,
  建物基礎 1,
  軍用地境界標 2,
  その他 3

 実地調査
  2020年 12月

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歩兵第一〇六連隊は第六十三独立歩兵団の基幹部隊として1941年(昭和16)に編成され兵営が現在の加古川市に設置されました。

1944年(昭和19)に入り太平洋戦争での戦局を打開するため新設された第四十九師団の傘下となり朝鮮へ移駐したため兵営は同年に開隊した航空通信学校の神野教育隊が使用し、その後に改編された加古川教導航空通信団の傘下となり終戦まで存続しました。

現在、跡地は市立山手中学校や市営住宅などに変遷していますが当時の遺構が残っています。

 加古川第二陸軍病院


 所在
  加古川市
  神野町西条

 収録遺構 (4)
  その他 4

 実地調査
  2016年 2月

  2016年時点の詳細をご紹介します





加古川第二陸軍病院は、加古川に歩兵第一〇六連隊の兵営がおかれたことで設置された病院で1942年(昭和17)に開院し、太平洋戦争の終戦まで機能が存続していました。

終戦後、病院は現在の厚生労働省に移管されて国立病院となりましたが、現在は一般財団法人の甲南会に移管されており、甲南加古川病院となっています。

残念ながら、当時の建物群は消失していますが通用門の跡や揚水施設に関係する遺構が現在も残っており、見学することが可能です。

 陸軍第一〇四教育飛行団
 第一教育飛行隊
 三木飛行場


 所在
  加古川市
  八幡町野村

 収録遺構 (2)
  軍用地境界標 2

 実地調査
  2017年 3月

  2017年時点の詳細をご紹介します





三木飛行場は、陸軍の飛行部隊の教育と訓練を行う目的で設置された飛行場で太平洋戦争での戦局が劣勢になりつつある1944年(昭和19)に建設が急ピッチで開始されました。

翌年の1945年(昭和20)には199ヘクタールにおよんだ広大な敷地に 3本の滑走路が完成し、ここには加古川飛行場内で改編された第一教育飛行隊の一部が展開し、来たる本土での決戦に際して主力飛行場として機能する予定でしたが終戦を迎えました。

現在、飛行場跡は加古川市・三木市稲美町にまたがっており、そのほとんどが農地や工場に変遷していますが当時の遺構が残っています。

 加古川陸軍射撃場


 所在
  加古川市
  上荘町小野

 収録遺構 (3)
  建物 2,
  その他 1

 実地調査
  2019年 4月









加古川射撃場は、加古川市内に陸軍部隊が展開したことにより設置されたようです。

資料に乏しく詳細は不明ですが、現在も区画が残り当時の建物と考えられる遺構も見ることが出来ます。

 陸軍高射第三師団
 高射砲兵第一二三連隊
 三木高射砲台


 所在
  加古川市
  八幡町野村

 収録遺構 (3)
  砲座 2,
  その他 1

 実地調査
  2017年 3月

  2017年時点の詳細をご紹介します





三木高射砲台は、三木飛行場を防衛する目的で1945年(昭和20)頃に構築されたようです。

資料に乏しく、詳細を掴めていない状況ですがここに高射砲兵第一二三連隊の 1中隊が配備についていたようです。

現在、跡地は山林になっているものの、周辺に工場や倉庫などを建設した際に整地されたためわずかな遺構が残るのみとなっています。

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