中島飛行機 小泉製作所 伊勢崎工場
所在 伊勢崎市 末広町 ほか
収録遺構 (1) その他 1
実地調査 2018年 11月
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中島飛行機は、1917年(大正 6)に創設された民間の航空機製作会社で特筆に値する製作戦闘機に「隼」や「疾風」などがあり、戦前の日本を代表した陸軍・海軍御用達の戦闘機の製造会社として「零戦」などの設計で有名な三菱重工業と双璧をなします。
昭和に入ると近代戦の主力が航空機となり、戦闘機の需要が急激に伸び群馬県の太田市にかかえていた工場だけでは生産が間に合わず全国各地に工場が設置され、その中で伊勢崎工場は海軍が使う戦闘機の機体を組み立てた小泉製作所が管轄する部品工場として1942年(昭和17) 9月に開設し、末広町に第一工場・平和町に第二工場が設置されました。
ここではボルトやナット・油圧関連の部品が製造され約 6,000人の工員が作業に従事していましたが、太平洋戦争における最後の本土空襲といわれる、1945年(昭和20) 8月15日の伊勢崎空襲で被災し終戦となりました。
戦後、伊勢崎工場は富士重工の工場に変遷し日本のモータリゼーションの先駆けとなった軽自動車「スバル360」を最初に生産して有名になりましたが、現在は第一工場が富士重工の関連企業・第二工場は商業施設になり第二工場の東側の側面部分が移設されており商業施設内に保存されています。 |