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  陸軍造兵廠火工廠 板橋火薬製造所 多摩分工場 (東京第二陸軍造兵廠 多摩製造所)

 戦争遺跡詳細

 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市向陽台 4
  (城山公園内)

 【分類】
  軍用地境界標




城山公園の東側、米軍多摩サービス補助施設の境界に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「二〇一」が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市向陽台 4

 【分類】
  軍用地境界標




城山公園の東側から向陽台 4丁目団地の北側にかけて残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市向陽台 4

 【分類】
  軍用地境界標




向陽台 4丁目団地の北西側、米軍多摩サービス補助施設の境界に残存しています。

標柱は花崗岩製で、下部分が埋まっていますが正面には「陸」の文字の一部が確認出来ます。背面には通番が入っているものと思われますが判りませんでした。しかし、この標柱の両隣の通番が「一九六」と「一九四」であることから「一九五」であると断定しています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市向陽台 4

 【分類】
  軍用地境界標




向陽台 4丁目団地の北西側、米軍多摩サービス補助施設の境界に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市向陽台 4

 【分類】
  軍用地境界標




向陽台 4丁目団地の西端部と米軍多摩サービス補助施設との境界に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市向陽台 5

 【分類】
  軍用地境界標




リベレ向陽台の北西端と米軍多摩サービス補助施設との境界に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。


 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市東長沼

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブの北端部付近に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市東長沼

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブの北端部付近に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「一六一」が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

ここまでは、ほぼ順調に通番を追う形で軍用地境界標を記録出来ましたが、以降は発見出来ず通番が少しずつ飛んでいます・・▲

 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「一五九」が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部には黄色の塗装痕が見られるため、戦後に活用されていたかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標







多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれているものの、ほとんどが引き抜かれて横に倒されています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、下部が埋没しているものの正面は「陸軍用」の文字が確認出来ます。また背面は通番を表す「一五〇」が入っています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「一四一」が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部分は黄色に塗装されており、新たに番号が付加されているので、現在も活用されているかもしれません。

 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市百村

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置された状態ですが、このまま残るものと思われます。なお、上部分は黄色に塗装されており、新たに番号が付加されているものもあるので、一部は現在も活用されているかもしれません。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「一三三」が刻まれています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「一三一」が刻まれています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す漢数字が刻まれています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、下部が埋没しているものの正面は「陸軍用地」の文字が明朝体で刻まれ、背面は通番の一部しか見ることが出来ませんが「一二」が入っています。この標柱に前後する標柱の通番を見る限りでは 120番台の漢数字が入っていると思われます。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、いずれも下部分が埋没していますが、正面には「陸軍」の文字までが確認出来るため、「陸軍用地」と明朝体で刻まれていると断定しています。また、いずれも背面に通番を表す漢数字が入っています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標







多摩カントリークラブ内に残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っているものの、背面部分は完全に埋まっているため通番は確認出来ませんでした。

現在、標柱は放置されている状態ですが、多摩カントリークラブ内なので当面はこのまま残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブの西をはしる林道沿いに残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「一〇三」が刻まれています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、林の中なので当面は残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブの西をはしる林道沿いに残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っているものの、崖上に位置しているために接近出来ず、背面部分の通番は確認出来ませんでした。

現在、標柱は放置されている状態ですが、林の中なので当面は残るものと思われます。


 軍用地境界標群



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標






多摩カントリークラブの西をはしる林道沿いに残存しています。

標柱は花崗岩製で、このうち一部は下部が埋没しているものの「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分に通し番号を表す数字が刻まれています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、林の中なので当面は残るものと思われます。

ここに掲載している
全ての標柱は、城山
公園から柵に沿って
歩くと見れますよ★
当方での見落としも
あると思うので掲載
以外にも発見したら
通報してください★
 安芸:藪漕は任せてよっ★
畝傍:標柱だけで得意になったらダメです▲
 
こうやって、得意気に
多くの軍用地境界標を
紹介しているけれど、
多摩分工場のメインは
米軍施設の中ですっ▲

施設の一般開放を狙い
調べてみますねっ★

 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブの西をはしる林道沿いに残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っており、背面部分は通番を表す「八九」が刻まれています。

現在、標柱は放置されている状態ですが、林の中なので当面は残るものと思われます。


 軍用地境界標



 【所在】
  稲城市坂浜

 【分類】
  軍用地境界標




多摩カントリークラブの西をはしる林道沿いに残存しています。

標柱は花崗岩製で、正面部分は「陸軍用地」の文字が明朝体で入っているものの、崖上に位置しているために接近出来ず、背面部分の通番は確認出来ませんでした。

現在、標柱は放置されている状態ですが、林の中なので当面は残るものと思われます。


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