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 東京都稲城市の戦争遺跡一覧 収録遺構数:62 


陸軍造兵廠火工廠
板橋火薬製造所
多摩分工場

 (東京第二陸軍造兵廠
  多摩製造所)


 所在
  稲城市大丸 ほか

 収録遺構 (62)
  軍用地境界標 62

 実地調査
  2007 12
  (継続調査中)
  2007年時点の詳細をご紹介します
 祐実:雑草が凄そうですが・・・
毎年夏期に開催される
稲城フェスティバルで
施設を一般に開放する
そうなので、その時に
調査してみます★    







多摩分工場は、軍備拡大に伴って火薬使用量が増加したため、火薬の製造工場として板橋区におかれていた板橋火薬製造所の拡張を迫られて1938(昭和13)に設立されました。

ここでは、黄色火薬や炸薬の製造を中心に行い製造量の増大に伴って、翌年に入ると板橋火薬製造所の分工場から独立し、多摩製造所として火工廠直下の火薬製造工場に昇格しました。

1940(昭和15)に入ると、火工廠の組織改定が再度行われたため、多摩製造所は東京第二陸軍造兵廠の傘下となって、終戦まで火薬の製造が続きました。なお、終戦時点での敷地面積は、
 1,730,000uで、従業員数は 2,085人を数えています。

戦後、跡地はアメリカ軍に接収されて、現在もアメリカ軍のレクリエーション施設として使用されており、当時の建物がそのまま残っているようですが、普段は立入が出来ないので調査が出来ていません。資料によると、建物の一部や地下倉庫などが施設内に残っているようです。また、施設を囲むように沢山の軍用地境界標が残存しており、こちらは見学が可能です。


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