陸軍第一四七師団 抵抗拠点陣地
所在 市原市鶴舞 ほか
収録遺構 (3) 地下壕 3
実地調査 2018年 8月
陣地の見学は重装備で 臨んでくださいね★ もしかしたら、他にも 陣地が存在してるかも しれませんね・・・ (特に鶴舞地区はね★)
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第一四七師団は、1945年(昭和20)2月に旭川で編成されて開設された特設師団で、第一総軍の第十二方面軍に所属していた第五十二軍の隷下部隊となり、師団基幹には歩兵第四二五連隊〜歩兵第四二八連隊の 4個部隊がありました。
日本の敗戦が確定的になった1944年(昭和19) 6月のマリアナ沖海戦の敗退で、アメリカ軍は「コロネット作戦」と呼ばれる、日本本土への上陸作戦を計画します。その作戦の内容とは、九十九里浜と神奈川県の相模湾より上陸して、首都圏の拠点を制圧しながら帝都に攻め入るというもので、九十九里浜には約240,000人ものアメリカ軍が上陸を予定していました。一方、日本軍は「本土決戦作戦」を計画し、両海岸の防備にあたりました。この中で第五十二軍は、九十九里浜の防備を担当することになり隷下の第一四七師団は、大網白里市より勝浦市に至る地域の防衛にあたりました。なお、防衛方針は海岸後方の山に抵抗拠点となる陣地を展開させ上陸兵に対して狙撃を行うというものでした。また、師団の司令部は鶴舞におかれています。
これらは、本土決戦となる前に日本軍の敗北で終戦となったため、実際には使用されず山林に現在も放置されており、一部崩壊があるものの見学は可能です。しかし、入口は埋没しており水はけも悪いので注意が必要です。
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