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  陸軍第五師団 師団司令部 (広島大本営 , 陸軍中国軍管区司令部)

 遺構詳細

 司令部庁舎跡



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  建物基礎




広島城址公園内に残存しています。

これは、第五師団の司令部として建設された建物跡であり石で造られています。その後の日清戦争では、この建物に明治天皇が入って行在所となり大本営が設置されました。

残念ながら、太平洋戦争の末期に投下された原爆により倒壊しているため、基礎部分しか残っていませんが、案内板が設けられており保存されています。

 境界柵支柱群



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  その他




広島城址公園内に残存しています。

これは、庁舎の区画・装飾に使われたものと考えられる石柱列で中央に開けられた丸穴に金属を通して連結し境界柵としていたものと思われます。

現在は庁舎の建物基礎とともに現状をもって保存されています。

 境界柵支柱群



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  その他




広島城址公園内に残存しています。

これは、庁舎の区画・装飾に使われたものと考えられる石柱列で中央に開けられた丸穴に金属を通して連結し境界柵としていたものと思われます。

現在は庁舎の建物基礎とともに現状をもって保存されています。

 付属建物跡



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  建物基礎




広島城址公園内に残存しています。

これは、司令部庁舎の付属施設の跡であり、石で造られています。

残念ながら、太平洋戦争の末期に投下された原爆により倒壊しているため、基礎部分しか残っていませんが、案内板が設けられており保存されています。

 付属建物跡



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  建物基礎




広島城址公園内に残存しています。

これは、司令部庁舎の付属施設の跡であり、石で造られています。

残念ながら、太平洋戦争の末期に投下された原爆により倒壊しているため、基礎部分しか残っていませんが、案内板が設けられており保存されています。

 境界柵支柱群



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  その他




広島城址公園内に残存しています。

これは、庁舎の区画・装飾に使われたものと考えられる石柱列で中央に開けられた丸穴に金属を通して連結し境界柵としていたものと思われます。

現在は庁舎の建物基礎とともに現状をもって保存されています。

 関連遺構



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  その他




広島城址公園内に残存しています。

この遺構の詳細は判っていませんが、当時の敷地内に位置していることから当時のものと推測しています。

現在は庁舎の建物基礎とともに現状をもって保存されています。

 軍用地境界標



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  軍用地境界標




広島城址公園内に残存しています。

標柱は花崗岩製で側面部分に通し番号を示す漢数字が入っており頂部の面に陸軍の記号であるMマークが刻まれています。

現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。

 軍用地境界標



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  軍用地境界標




広島城址公園内に残存しています。

標柱は花崗岩製で側面部分に通し番号を示す漢数字が入っており頂部の面に陸軍の記号であるMマークが刻まれています。

現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。

 軍用地境界標



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  軍用地境界標




広島城址公園内に残存しています。

標柱は花崗岩製で側面部分に通し番号を示す漢数字が入っており頂部の面に陸軍の記号であるMマークが刻まれています。

現在は放置されている状態が続いていますがこのまま残るものと思われます。

 中国軍管区司令部
 防空作戦室



 【所在】
  中区基町

 【分類】
  地下施設







広島城址公園内に残存しています。

これは、空襲下でも指揮をとれるようにすることを目的に構築された中国軍管区司令部の防空作戦室で、半地下式の鉄筋コンクリート平屋構造となっており、内部は作戦室や指揮連絡室・情報室・通信室の各部屋が設置され上部に通風口が設けられています。

現在は広島市で管理されているため、普段は立ち入りが禁止されていますが、平和学習の目的に限り見学が許可されるようです。

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