横須賀海軍警備隊 第一高角砲大隊 二子山防空砲台
所在 葉山町長柄
収録遺構 (4) 砲座 2, その他 2
実地調査 2006年 12月
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二子山防空砲台は、横須賀の軍港を統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ軍港周辺の防衛を担当した横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台で1944年(昭和19)におかれました。
ここには12センチ高角砲が 4門据え付けらたほか、探照灯や機銃なども設置され 102名の人員が配備についていたようです。
現在、跡地はKDDIの通信施設や、二子山山頂から景色を堪能するための展望台が設置されており整備されていますが、砲座と推測出来る円形の窪みやコンクリート製の探照灯台座が残っています。 |
横須賀海軍施設部 長柄地下施設
所在 葉山町長柄
収録遺構 (1) 地下壕 1
実地調査 2006年 11月 (文献調査中) |
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海軍施設部は、海軍で使用する飛行場や陣地などの施設を設営する部門で、各鎮守府内にそれまでおかれていた建築部の改編によって1943年(昭和18)に設けられました。
現在のところ、詳細を把握出来ていない状況ですが、横須賀海軍施設部により葉山に地下施設の建設が太平洋戦争の末期に進められたようで、これに関連すると推測する地下壕の存在が実地調査で判明しています。
せっかく記録した写真を全消失させたので、写真は OKN先生から提供いただきましたっ★ありがとうございます m(_ _)m |
横須賀海軍警備隊 第一高角砲大隊 畠山防空砲台
所在 葉山町木古庭
収録遺構 (3) 砲座 3
実地調査 2007年 1月
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畠山防空砲台は横須賀軍港を統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ、軍港周辺の防衛任務を担当した横須賀海軍警備隊が守備する防空砲台で太平洋戦争中に設置されました。
ここには12センチ高角砲が 4門据え付けられ 128名の人員が配備についていたようです。
現在、跡地は鬱蒼とした山林となっており、当時の遺構は埋没しているようですが砲座とおぼしき円形の窪みを 3ヶ所確認することが出来ます。 |
海軍東京湾要塞地帯
所在 葉山町木古庭 ほか
収録遺構 (3) 軍用地境界標 3
実地調査 2007年 1月
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東京湾要塞は日本の本土におかれた12箇所の永久要塞のうちの 1つで、1895年(明治28)の要塞司令部条例により、永久的な防御工事が施されている場所は「要塞」とされ、海軍の場合は砲台や軍港が「要塞地帯」と定義されました。また、これに伴う法律も公布されており、軍事機密保持のため、要塞地帯に指定された区域の中での測量や撮影・スケッチ・土木工事などは、要塞司令部の許可がないと出来ませんでした。これらの防御営造物より250間(約455メートル)以内を特に「要塞地帯第一区」として一般人の立入りが禁止され、衛兵が守備していました。また、その距離に応じて「第二区」・「第三区(区域)」が設定され、これらを明確にするためその境界部に要塞地帯標が設置されました。
要塞地帯を定義する法律は、数度にわたって改正されましたが、最終的に防御営造物から 1,000メートル以内を第一区・5,000メートル以内を第二区・15,000メートル以内を第三区(区域)と当初よりも大幅に拡大されました。
葉山については軍港や防空砲台からの距離に応じた要塞地帯標が現存しており、見学することが可能です。 |
横須賀海軍警備隊 第四高角砲大隊 葉山防空砲台
所在 葉山町下山口 ほか
収録遺構 (2) 砲座 1, 建物基礎 1
実地調査 2006年 6月
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葉山防空砲台は横須賀軍港を統括した横須賀海軍鎮守府の隷下におかれ軍港の防衛任務を担当した横須賀海軍警備隊が守備する砲台で葉山御用邸と周辺軍事施設を防衛する目的で1944年(昭和19)に建設されました。
ここには、12.7センチ高角砲を 2門と25ミリ連装機銃を 2基・13ミリ機銃を 1基据え付け防備にあたりました。
現在、跡地の大半が国土交通省の東京航空局横須賀VOR―DME局となっているため、高角砲の砲座は消失していますが、機銃座や建物基礎が少し残っています。 |